おはようございます。

昨晩、出張のため

何年ぶりかで上京した弟と

軽くお酒を酌み交わしました。

一回りほど離れている兄弟なので、

若い時もほとんど真面な交流はなく

(仲悪いわけじゃないですよ)、

こうやってサシで飲んだのは

人生初かもしれません。

夜も遅かったので

それこそ小1時間でしたが、

血縁とそうやって語るのも

たまには良いものだと思いました。





弟から相談気味に聞いた話。

小学6年の娘が、

つまり僕にとっては姪が

人生初のいじめに遭って

登校拒否になったとのこと。

詳細を聴いてみると、

弟曰く、相手が曲者で、

その兄も問題児で、

そしてその親もモンスターペアレンツということで

どうにもならないというのです。

ましてや学校も、

担任の先生も何もしてくれないどころか、

及び腰で、

なるべく関わらないようにするので

話にならんと

(普段おとなしい)あの弟が怒り心頭気味でした。





すべてが社会の縮図で、

大人になってから初めて

そういう経験をすると

打撃が大き過ぎて本当に参ってしまいますが、

子どもの頃なら小難で済むだろうから

逆に良かったと宥めておきましたよ、

暢気なようですが。





とはいえ、今朝、少し真面目に考えてみました。

どんな人も心底は受け入れてもらいたいと思っています。

素直にそう表現できる人は

何の問題もありません。

しかし、多くは素直になれなく、

そういう想い(寂しさの裏返しだったり、

怒りの裏返しだったり、いろいろ)を

ひねくれた形で表現しがち。

それが攻撃という形になって表れるのですが、

当然ながら、

そういうとき、大抵人は戦おうとします。





弟も言ってましたが、

「2学期も続くようだったら

訴えてやろうかと思っているくらいだ」と。

気持ちはわかります。

でも、それだと感情に振り回されているだけで

解決には絶対に至らない。





要はぶつかったところで誰の得にもならないわけです。

関係をいかにぶつかりのないZEROの状態にするかが鍵。

決してぶつからない。

と言っても、自分を抑制してストレスフルになるのも違う。

ぶつかるということが押し(プラス)であるなら、

ストレスフルに陥るというのは引き(マイナス)ですからね。

そのどちらでもないZEROの状態に置くには、

たとえ相手がどんな人だろうと、

(無条件に)受け入れる(愛する)ということです。

そしてその際、自分のストレスにならないためにも

その相手を(成育背景含め)しっかり理解しないといけません。

(そのためにぶつかるのではなく

きちんと話し合いを持つことも重要。

今回のケースは、

一筋縄ではいかない相手なのでなかなか難しそうですが)





自分自身に対しても他人に対しても、

(無条件の)受容というのは永遠の課題ですね。

それは本当に難しい。

でも、そういう機会を与えてもらって、

しかもそういうことに気づけること自体が

本当に素敵なことなんだとあらためて思います。

今回の場合は、

どちらかというと姪というより親、

すなわち弟(と義妹)の課題でしょうかね。

何より、

人間どんな人も心底では受け入れてもらいたい、

愛してもらいたいと願っているんだということに

気づくことが大切。





それにしても教師がだらしないですね。

ぶつかるのもダメですが、逃げ腰はもっとダメ。

先生こそ率先して矢面に立って、

無条件に受け入れるということをできないと・・・。

いろいろと考えさせられました。





今日もありがとうございます。





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