こんにちは。

今朝、

自動車を運転していて、

指示された道を間違って

結果、行き止まりになるという

夢を見ました。

アクセル全開で

猛スピードを出していましたから

危うく行き止り標識に

ぶつかりそうになりました。

そこで目が覚めたので

助かりましたが・・・(笑)





長年の友人からメールをいただきました。

誰かと比べたり、自分を卑下することはやめます。苦しいので、と。

本当に自分に意識が向いている時は

苦しいですよね。

固執をなくして他に意識を置く。

それでも人間だからどこかに必ず執着はあるわけで。

ただし、他人に迎合することはない。

自分のポリシーは貫けば良い。

自分は自分ですから。





そういえば、昔、ワークショップで

フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」という詩を

引用していたことを思い出しました。



私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世に在るわけではない。
私は私。あなたはあなた。
偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なこと。
しかし、たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。




ちなみに、ワークショップでは、この詩を

出逢って互いに承認し合えたなら素晴らしいことだけれど、

もしそうでなかったとしても、それは仕方のないことだ

と拡大解釈していました。

仕方がないという割り切り、というか理解は

どんな場合にも重要だと思います。

極端に言うと、生きる目的が異なれば

どこかで必ず承認し合えないことが起こりますからね。

その時に、静かになって心底そう思えるかどうかでしょう。





自分の魂の目的を達成するための行動のプロセスに

真の幸せがあるのではないかとここのところ僕は思います。

そう、結果ではなくプロセスに喜び(やりがい)を

感じられるかどうかが大事だと。

あ、よく考えると人生はいつ何時もプロセスしかないですね。

結果は死ぬときですから。





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