こんにちは。

内臓を冷やし過ぎてしまったようで

昨夜から少々下痢気味です。(苦笑)

少し養生しろということでしょうか。





アリストテレスの「ニコマコス倫理学」に

膝を打ちました。

第1巻「人生の目的」には次のようにあります。



要するにどのような行為と選択であれ、善とはそれらにおける目的にほかならない。このような目的のためにこそ、だれもが他のさまざまなことを行うのである。
アリストテレス「ニコマコス倫理学」(京都大学学術出版会) P25



ひとりひとりに目的があって、

その目的を達成することが善だとするなら、

善悪というのは本当に紙一重で、

そうである以上、ぶつかりや争いは

決してなくなることはないということになります。




さすれば、同志である以上「目的を一にする」ことは

とても大切なことなのでしょうが、

残念ながら、そこに集まり人々の内なる企ては、

つまり目的は当然違っているということも

起こり得ます。

ただし、企てとはあくまで人間の表面的な意識上の

ことに過ぎず、

魂の目的というものをキャッチして、

やはりそこを共有してゆくことが重要なんだと

あらためて思いました。





なるほど「無門関」 で「不思善、不思悪」といわれますが、

どちらにもフォーカスしないで、

中庸の立場に在ることは本当に重要なことで、

古代から西洋でも東洋でも

同じようなことがすでに言われていたということが

よくわかります。





焦点を当てたことが現実化するのが現象界。

一事が万事と言います。

自分の意識が変われば、すべては変わるのだと。





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先週に引き続き、午後はとある高校でのキャリア講座。

今日も楽しみです。





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