こんにちは。

先ほどまで我孫子にいたのですが、

東京はひと雨降ったようですね。

午前中は雲一つない真っ青な空だったのに

路面が濡れていてびっくりしました。

それにまた雲行き怪しいので

また雨になるのでしょう。





さて、往復の車中で「小林秀雄 学生との対話」

を読みました。

僕の世代だと小林秀雄は国語の教科書でも有名で

受験の現代文では必須でしたので、当時相当読んだものです。

ちなみに、今では「全集」まで手元に置いています。

それにしてもこの人のイメージは厳格で気難しい

というものですが、ともかく言葉のひとつひとつに

説得力があり、いちいち膝を打ちます。

確かに学生の質問自体が稚拙だと剣もほろろなんですがね・・・。





昭和49年8月5日、鹿児島県霧島での講義
「信ずることと考えること」後の学生との対話から。


母親は子どもに対して、観点など持っていません。彼女は科学的観点に立って、心理学的観点に立って、子どもの心理を解釈などしていません。母親は子どもをチラッと見たら、何を考えているか、わかるのです。そういう直観は、交わりから来ている。交わりが人間の直観力を養うのです。精神官能だとか、やかましいことを言わなくとも、僕らは感応しているのです。まるで千里眼みたいに、人間が一目でわかるということもあるのですよ。
P119


「交わりが人間の直観力を養う」のだと。

しかもすでに僕たちにはそれが備わり、

日々養っているのだと。(ここポイント!)

うまいことおっしゃる、さすがです。

ただし、これは40年前の講演ですからね。

その後の僕たちの直観がどうなっているのかはわかりません。





さらに、「人間はどうして言葉を必要とするのでしょう?」

という質問に対しては、様々例をあげながら次のように。


言葉ぐらい人間を助けているものはないけれども、こういう便利なものはいつでも人間を迷わしますよね。いつでも、物には裏表があるのです。理性はこんなに人間を助けているけれど、人間は助けてくれるものの虜になるんです。不思議です。だが、こういう不思議を解く人はいません。解けないよね。
人間は自分の得意なところで誤ります。自分の拙いところでは決して失敗しません。得意なところで思わぬ失敗をして不幸になる。言葉もそれと同じだな。言葉もそれと同じだな。あまり使いやすい道具というのは、手を傷けるのです。

P120


世界の表裏をはっきり見抜き、明言してますね。

しかも、はっきり「わからない、答えられない」と

言い切った上での回答ですからね。

この潔さ、断言が素晴らしいのです。





ところで、質疑に入る前の講演の内容自体が実に面白い。

当時流行したユリ・ゲラーの念力について前置きしつつ

「科学万能」「科学優先」主義の世情を憂えた考察になっています。

長くなるのであえて抜粋しませんが・・・。





電車の長旅は格好の読書時間。

ということで、本日はおしまい。

長くなりました。ありがとうございます。





学生との対話
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