おはようございます。
光陰矢のごとし。
一日一日を大切に生きたいものです。
さて、突然の話題ですが、
獄舎というのはいわば「世のシステム」の縮尺版であり、
もっというなら各パーツをデフォルメして、
良くも悪くも人間模様の機微を一層際立たせた
世界なのだろうと想像しました。
もちろん時代背景や地域にもよるでしょうが、
中で起こっていることは
人間の理性、感情、魂、あらゆる側面がぶつかり、うねりをあげる
ことばかりなのだろうと。
ゆえあって、久しぶりにドストエフスキーの「死の家の記録」
を再読しております。若い頃初めて読んだときに退屈した
様々な描写が実にリアルに迫ってきて、心に残るのです。
この小説中には大勢の人々が登場します。
あらゆるタイプの人間が蔓延る。
そして、人間関係において駆け引きもあれば親和もある。
妻殺しの罪で収容所暮らしを強いられた主人公ゴリャンチコフ
によって語られる細かい描写から、
ドストエフスキーの人間観察力に舌を巻くのです。
老人は仲間の熱心な信徒たちとともに、彼の言葉によると、「信仰を守る」決意をした。正教の寺院の建築がはじまると彼らはそれを焼きはらった。その首謀者の一人として、老人は流刑地に送られたのである。・・・わたしは何度かこの老人と「信仰について」話したことがあったが、老人はぜったい自分の信念をゆずらなかった。しかし老人の反論には、けっして、少しの悪意も憎悪もなかった。ところが彼は寺院を破壊して、それをかくそうとしなかったのである。どうやら彼は、自分の信念によって、自分の行為と、そのために受けた「苦しみ」を、光栄と考えているらしかった。
P72
わたしは監獄生活の最初の日に、ある事実を見てとったが、のちにそれがまちがっていなかったことを確信した。その事実というのは、囚人以外のすべての者は、だれであろうと、囚人たちにじかに接している、たとえば、看守や衛兵はむろんのこと、おしなべて、監獄生活に何らかの関係をもつすべての人々が―妙に誇張して彼らを見ているということである。まるで、囚人がいまにもナイフを振って彼らのだれかにとびかかりはしないかと、しょっちゅうびくびくしているようだ。ところが、何よりもおもしろいのは―囚人自身が、おそれられていることを知っていて、それが囚人たちに空元気のようなものをあたえているらしい、ということである。ところが、囚人たちにとってもいい役人は、じつは、彼らをおそれぬ人間なのである。それにだいたい、空元気はともかく、囚人たちにしてみれば、信頼されているほうがどれだけ気分がいいかわからない。それによって囚人たちの心をひきつけることさえできるのである。
P97-98
「徒刑囚は、要するに徒刑囚だ。徒刑囚になったからには、卑劣なことをしてもかまわないし、恥ずかしくもないわけだ」。文字どおり、これが彼の考えだった。わたしはこのけがらわしい人間を、異常現象として思い出すのである。わたしは何年かのあいだ、人殺しや、極道者や、札つきの凶悪犯人の中に暮らしてきたが、このAのような、これほど完全な没義道、これほど徹底的な堕落、そしてこれほど恥知らずな陋劣さには、いまだかつてお目にかかったことはないと、はっきり断言することができる。
P142
極限状態におかれると、人間はその本性を露わにするものですね。
プライドも糸瓜もなく。
と思いきや、今度はその内部で金の問題、良心の呵責など
諸々人間の葛藤も起こる。
金というものは―もうまえにも言ったように―監獄ではひじょうに大きな意味と力をもっていた。絶対的に断言できるが、獄内ですこしでも金をもっている囚人は、ぜんぜんもっていない囚人の10分の1も苦しまずにすんだ。もっとも、もっていない者でも全部官給品で保証されているから、何のために金が必要なのだ?―これが上司の考えではあった。ところがそうではないのである。
P148
こういう人間関係、あるいは状況の中で
人はまずどういう行動をとるものなのでしょうか?
やはり自己防衛・・・?
まえにも言ったが、監獄へ来てまず第一にわたしが問題にしたのが、どういう態度をとったらいいのか、こういう連中に対して自分をどういう立場においたらいいのかということであったが、その理由がいましみじみと痛感させられたのだった。・・・わたしは、なるべく素直にして、自分の自由を守るようにし、わざわざ無理に彼らに近づこうとするようなことは、ぜったいにしないが、しかし先方から近づきたいと望むならば、こばまない、という態度を決めたのである。彼らのおどしや憎悪をけっしておそれず、できるかぎり、それは気付かないふりをする。ある点ではぜったいに彼らと妥協せず、彼らのある習慣やしきたりにはぜったいに従わない、つまり一口に言えば―こちらから彼らの全面的な友好関係は求めないということである。
P174
あまりに世知辛いのですが、あくまでシステムの中で生きる上での
最良の方法を的確に示してくれているようです。
おそらくこれは当時も今も、そして獄舎でも娑婆でも
変わらないことだと思うのです。
ドストエフスキーの人間観察眼、心理描写等々、
やっぱりすごいですわ。
勉強になります。
ありがとうございます。
とことん暗いですけどね・・・(笑)
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光陰矢のごとし。
一日一日を大切に生きたいものです。
さて、突然の話題ですが、
獄舎というのはいわば「世のシステム」の縮尺版であり、
もっというなら各パーツをデフォルメして、
良くも悪くも人間模様の機微を一層際立たせた
世界なのだろうと想像しました。
もちろん時代背景や地域にもよるでしょうが、
中で起こっていることは
人間の理性、感情、魂、あらゆる側面がぶつかり、うねりをあげる
ことばかりなのだろうと。
ゆえあって、久しぶりにドストエフスキーの「死の家の記録」
を再読しております。若い頃初めて読んだときに退屈した
様々な描写が実にリアルに迫ってきて、心に残るのです。
この小説中には大勢の人々が登場します。
あらゆるタイプの人間が蔓延る。
そして、人間関係において駆け引きもあれば親和もある。
妻殺しの罪で収容所暮らしを強いられた主人公ゴリャンチコフ
によって語られる細かい描写から、
ドストエフスキーの人間観察力に舌を巻くのです。
老人は仲間の熱心な信徒たちとともに、彼の言葉によると、「信仰を守る」決意をした。正教の寺院の建築がはじまると彼らはそれを焼きはらった。その首謀者の一人として、老人は流刑地に送られたのである。・・・わたしは何度かこの老人と「信仰について」話したことがあったが、老人はぜったい自分の信念をゆずらなかった。しかし老人の反論には、けっして、少しの悪意も憎悪もなかった。ところが彼は寺院を破壊して、それをかくそうとしなかったのである。どうやら彼は、自分の信念によって、自分の行為と、そのために受けた「苦しみ」を、光栄と考えているらしかった。
P72
わたしは監獄生活の最初の日に、ある事実を見てとったが、のちにそれがまちがっていなかったことを確信した。その事実というのは、囚人以外のすべての者は、だれであろうと、囚人たちにじかに接している、たとえば、看守や衛兵はむろんのこと、おしなべて、監獄生活に何らかの関係をもつすべての人々が―妙に誇張して彼らを見ているということである。まるで、囚人がいまにもナイフを振って彼らのだれかにとびかかりはしないかと、しょっちゅうびくびくしているようだ。ところが、何よりもおもしろいのは―囚人自身が、おそれられていることを知っていて、それが囚人たちに空元気のようなものをあたえているらしい、ということである。ところが、囚人たちにとってもいい役人は、じつは、彼らをおそれぬ人間なのである。それにだいたい、空元気はともかく、囚人たちにしてみれば、信頼されているほうがどれだけ気分がいいかわからない。それによって囚人たちの心をひきつけることさえできるのである。
P97-98
「徒刑囚は、要するに徒刑囚だ。徒刑囚になったからには、卑劣なことをしてもかまわないし、恥ずかしくもないわけだ」。文字どおり、これが彼の考えだった。わたしはこのけがらわしい人間を、異常現象として思い出すのである。わたしは何年かのあいだ、人殺しや、極道者や、札つきの凶悪犯人の中に暮らしてきたが、このAのような、これほど完全な没義道、これほど徹底的な堕落、そしてこれほど恥知らずな陋劣さには、いまだかつてお目にかかったことはないと、はっきり断言することができる。
P142
極限状態におかれると、人間はその本性を露わにするものですね。
プライドも糸瓜もなく。
と思いきや、今度はその内部で金の問題、良心の呵責など
諸々人間の葛藤も起こる。
金というものは―もうまえにも言ったように―監獄ではひじょうに大きな意味と力をもっていた。絶対的に断言できるが、獄内ですこしでも金をもっている囚人は、ぜんぜんもっていない囚人の10分の1も苦しまずにすんだ。もっとも、もっていない者でも全部官給品で保証されているから、何のために金が必要なのだ?―これが上司の考えではあった。ところがそうではないのである。
P148
こういう人間関係、あるいは状況の中で
人はまずどういう行動をとるものなのでしょうか?
やはり自己防衛・・・?
まえにも言ったが、監獄へ来てまず第一にわたしが問題にしたのが、どういう態度をとったらいいのか、こういう連中に対して自分をどういう立場においたらいいのかということであったが、その理由がいましみじみと痛感させられたのだった。・・・わたしは、なるべく素直にして、自分の自由を守るようにし、わざわざ無理に彼らに近づこうとするようなことは、ぜったいにしないが、しかし先方から近づきたいと望むならば、こばまない、という態度を決めたのである。彼らのおどしや憎悪をけっしておそれず、できるかぎり、それは気付かないふりをする。ある点ではぜったいに彼らと妥協せず、彼らのある習慣やしきたりにはぜったいに従わない、つまり一口に言えば―こちらから彼らの全面的な友好関係は求めないということである。
P174
あまりに世知辛いのですが、あくまでシステムの中で生きる上での
最良の方法を的確に示してくれているようです。
おそらくこれは当時も今も、そして獄舎でも娑婆でも
変わらないことだと思うのです。
ドストエフスキーの人間観察眼、心理描写等々、
やっぱりすごいですわ。
勉強になります。
ありがとうございます。
とことん暗いですけどね・・・(笑)
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