春到来ですね。
日々の掃除、整理整頓がますます楽しくなります。
雑巾がけをしながら思いました。
特にスピリチュアルの世界では
「悟っている」とか、「悟っていない」とか、
そういう言葉が頻繁に使われますが、
神様や仏様じゃあるまいし、
人間である以上、「悟り」に至ることは
まずないでしょう。
「悟り」という言葉は少々大袈裟なので、
「わかっている」、「わかっていない」という
言葉に変えても良いかもしれません。
大抵の場合は、「わかっているつもり」であって
わかっていないということです。
では、「わかっている」というのはどういう状態なのか
考えました。
例えば先生と生徒、師匠と弟子みたいな関係を
想像してみてください。
真に「わかっている」師は指示や命令をしません。
質問に対して、せいぜいヒントをくれるくらいで、
ほとんどが黙ってにっこり。
「わかっていない」師は指示や命令、
時には否定さえしてくるでしょう。
僕もモノを教える立場で、
日々多くの若者に接しますが、
彼らの質問や行動に対して
つい指示をしたり、否定したりしてしまうことが
多いことに気づきます。
まだまだです。
まったく修行が足りません・・・(笑)。
いや、この修業は一生終らないでしょうね。
「人間」ですから。
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雑巾がけをしながら思いました。
特にスピリチュアルの世界では
「悟っている」とか、「悟っていない」とか、
そういう言葉が頻繁に使われますが、
神様や仏様じゃあるまいし、
人間である以上、「悟り」に至ることは
まずないでしょう。
「悟り」という言葉は少々大袈裟なので、
「わかっている」、「わかっていない」という
言葉に変えても良いかもしれません。
大抵の場合は、「わかっているつもり」であって
わかっていないということです。
では、「わかっている」というのはどういう状態なのか
考えました。
例えば先生と生徒、師匠と弟子みたいな関係を
想像してみてください。
真に「わかっている」師は指示や命令をしません。
質問に対して、せいぜいヒントをくれるくらいで、
ほとんどが黙ってにっこり。
「わかっていない」師は指示や命令、
時には否定さえしてくるでしょう。
僕もモノを教える立場で、
日々多くの若者に接しますが、
彼らの質問や行動に対して
つい指示をしたり、否定したりしてしまうことが
多いことに気づきます。
まだまだです。
まったく修行が足りません・・・(笑)。
いや、この修業は一生終らないでしょうね。
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