人が集まるとそこにイデオロギーが生れ、

統制するのにルール、あるいは暗黙の了解というものが

生れます。

人はそうやって結果的に自分たちを縛り付けてきました。





そして、誰しも「自分が正しい」と思いたい。

もちろん、自分の置かれている環境では「正しい」のですが、

所変われば、「正しくなくなる」こともあります。





そこで中庸、無、ということになりますが、

これがまた難しい。やっぱりエゴってありますからね。

それにまた、ぶつかりたくないと思えば思うほど、

エゴを意識することになる。





ペーテル・バルトーク著「父・バルトーク」という

本を読んでいるのですが、

20世紀の大作曲家の人となりが細かく描写されていて

実に面白い。

見事に才能にあふれ、頭脳明晰で、生真面目な人、

ベラ・バルトーク。

彼の音楽の源がそういう人間性から創造されたもので

あることが手に取るようにわかるのです。

中でこんな記述がありました。



開けた窓のそばで音楽機械を鳴らす悪趣味な方々が大勢います。ラジオを使わない人たちの平穏を適切な規則によって守るべきことに、当局は気づいていません。その結果、ラジオとレコードプレーヤーは、いずれ古代エジプトの7つの災難にも匹敵する天罰となるでしょう。また、潜在的な能力が想像を超えるだけに、それ以上かもしれません。
P27

1937年にベラ・バルトークが発表した講義録です。

同じ講義の中で、ラジオやレコードプレーヤーがあると

人は自分で演奏しようとする意欲を失い、

たとえ未熟でも自分で演奏することで得られる満足感が

得られなくなることを危惧する言葉も発しています。





さてさて、絶対音感を持っている人、あるいは

日常音楽を仕事にする人は一様に、仕事以外の時は

静寂が欲しいと、いわゆる機械音を嫌悪する傾向にあります。

音楽愛好家に過ぎない僕からしてみると意味不明なのですが、

すべての音が「ドレミ」で認識できて、しかも

自然音じゃないですからね。聞くに堪えないのだと思います。

ある意味バルトークの言葉は正しい。





しかしながら一方で、天罰というのは言い過ぎでしょう。

著者含めた家人の気の使い方というのは並大抵で

なかったそうですし。すべてが父ベラを中心に回っていて、

子どものときでも天真爛漫に大騒ぎできなかったといいますからね。





ふと「郷に入っては郷に従え」という諺を思い出しました。

互いに譲り合う気持ちが大事なんですよね。

いや、譲り合うというより、自分がその時にいる場所の

背景や、そこに集まる人々の性質をしっかり理解して

受容することが大事なんだと。





ここまで書いて思いました。

やっぱり、文明の進化がエゴのぶつかり合いを助長している

のかなと。





要は、みんなが幸せになればいい。

それには思考や思想を超えないと。

自分がどんな思考の癖、枠を持っているのか、

そして相手はどうなのか、

そういうことを日々確認する習慣、

やっぱり省みる習慣というのは重要ですね。





そんなことを打ち合わせ前の隙間時間に

思ったのでした。

あーーー、長くなった・・・。いかんいかん。反省。




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