毎日のようにブログを書いていて思うのですが、
言葉というのはまったく限界がありますね。
思ったこと、感じたことを的確に表現するのが
そもそも難しいし、
読む人の感性もそれぞれで、同じ文章でも
捉え方がまったく異なりますしね。
そういえば、前にもそんなようなこと書いたな、
とか何とか考えながらまた今もこれを書いています。
で、ふと思ったのが、人というのは意外に
言葉そのものに感動しているのじゃないのかも
ということです。
その場の空気だったり、お話しする人のエネルギー
だったり。
要は、人間の目に見えないものにものすごく
影響を受けているのだろうと。
ちなみに、僕はもう何十年も音楽を、
中でもクラシック音楽を愛好しておりますが、
この目に見えない音の組み合わせによるものに
どうして感動があったりなかったりするのか
随分長いこと考えてきました。
最近思うのは、コンサートであれば「場の気」、
「奏者の気」、「聴衆の気」の三位一体がポイントで、
音響装置でのリスニングにしても、「部屋の気」や
その時の「自分の気」の状態にすごく左右されるものだな
ということです。
もちろん音楽そのものの力もあります。
音楽こそ「気」ですからね。
でも、どうしてその音楽がすごいのか
あるいは、どうしてその作曲家からそれほど
すごい音楽が生まれるのか、
おそらく専門家でも説明がつかないでしょう。
いずれにせよ、音楽を聴くという行為が、
人のエネルギーを高めたり
場の浄化につながったりするのは
まちがいないと思います。
「音楽が世の中を救う、人の心を救う」という言い方は
大袈裟のようで大袈裟でないでしょうね。
ちなみに、僕は「クラシック音楽講座」を開催する時は
必ずそういう視点を忘れずに
音楽の歓びをお伝えしています。
人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いしますm(__)m

言葉というのはまったく限界がありますね。
思ったこと、感じたことを的確に表現するのが
そもそも難しいし、
読む人の感性もそれぞれで、同じ文章でも
捉え方がまったく異なりますしね。
そういえば、前にもそんなようなこと書いたな、
とか何とか考えながらまた今もこれを書いています。
で、ふと思ったのが、人というのは意外に
言葉そのものに感動しているのじゃないのかも
ということです。
その場の空気だったり、お話しする人のエネルギー
だったり。
要は、人間の目に見えないものにものすごく
影響を受けているのだろうと。
ちなみに、僕はもう何十年も音楽を、
中でもクラシック音楽を愛好しておりますが、
この目に見えない音の組み合わせによるものに
どうして感動があったりなかったりするのか
随分長いこと考えてきました。
最近思うのは、コンサートであれば「場の気」、
「奏者の気」、「聴衆の気」の三位一体がポイントで、
音響装置でのリスニングにしても、「部屋の気」や
その時の「自分の気」の状態にすごく左右されるものだな
ということです。
もちろん音楽そのものの力もあります。
音楽こそ「気」ですからね。
でも、どうしてその音楽がすごいのか
あるいは、どうしてその作曲家からそれほど
すごい音楽が生まれるのか、
おそらく専門家でも説明がつかないでしょう。
いずれにせよ、音楽を聴くという行為が、
人のエネルギーを高めたり
場の浄化につながったりするのは
まちがいないと思います。
「音楽が世の中を救う、人の心を救う」という言い方は
大袈裟のようで大袈裟でないでしょうね。
ちなみに、僕は「クラシック音楽講座」を開催する時は
必ずそういう視点を忘れずに
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