上京し、かれこれ31年になります。
あっという間の年月でしたが・・・。
子どもの頃から僕が
心のどこかで感じていたことは
「窮屈さ」のようなものだったのかもしれません。
いわゆる「籠」に飼われている鳥のようなもので
確かに守られているのだけれど、
どこか「自分でない」感覚がいつもありました。
受験で東京を目指したのも、
そういう「窮屈さ」を抜け出したいと思ったからでしょうし、
卒業後も東京に居続けているのは
「自分で在る」ことを失いたくなかったからなのかも
しれません。
年末年始の休暇で帰省し、
父母と過ごすうちに、父母と自分との関係性に
思い至りました。
なるほど自立と依存というのは表裏一体で、
「籠」というのは年齢を重ねる毎に大きくなるだけで、
思いっきり自由に飛び跳ねていると思っていても
それは錯覚のようなもので
結局いつも籠の中にいるんだとあらためて思った
ということです。
もちろん良くも悪くも。
ならば、どんな形の、どんな色の、どういう素材の
籠であるのか、そして籠の入口がどこにあるのか、
それをきちんと認識し、
その籠を自由に出たり入ったりできる術をもつことが
実に重要です。
このたびその術がよくわかりました。
「自分を知る」というのは
関係性の中での自分をいかに客観的に捉えることができるか
ということに尽きますね。
自分だけを見つめていてもやっぱりダメです。
ふとそんなことを考えました。
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子どもの頃から僕が
心のどこかで感じていたことは
「窮屈さ」のようなものだったのかもしれません。
いわゆる「籠」に飼われている鳥のようなもので
確かに守られているのだけれど、
どこか「自分でない」感覚がいつもありました。
受験で東京を目指したのも、
そういう「窮屈さ」を抜け出したいと思ったからでしょうし、
卒業後も東京に居続けているのは
「自分で在る」ことを失いたくなかったからなのかも
しれません。
年末年始の休暇で帰省し、
父母と過ごすうちに、父母と自分との関係性に
思い至りました。
なるほど自立と依存というのは表裏一体で、
「籠」というのは年齢を重ねる毎に大きくなるだけで、
思いっきり自由に飛び跳ねていると思っていても
それは錯覚のようなもので
結局いつも籠の中にいるんだとあらためて思った
ということです。
もちろん良くも悪くも。
ならば、どんな形の、どんな色の、どういう素材の
籠であるのか、そして籠の入口がどこにあるのか、
それをきちんと認識し、
その籠を自由に出たり入ったりできる術をもつことが
実に重要です。
このたびその術がよくわかりました。
「自分を知る」というのは
関係性の中での自分をいかに客観的に捉えることができるか
ということに尽きますね。
自分だけを見つめていてもやっぱりダメです。
ふとそんなことを考えました。
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