昨日、「産学協同就業力育成シンポジウム2013」
を聴講しました。
といっても、講義があった関係で前半の1時間ほどだけ。
テーマが「主体性が学生を変える、学生が社会を変える」という
興味深いものだっただけに、全部を聴けなかったことが残念だったのですが。
パネルディスカッション」では、まさにこの「主体性」についてが話題の中心でした。
要は「いかに主体性をもたせるか」あるいは「磨くか」ということです。
後半、話がどのように展開したのか気になるところです。
ちなみに、「主体性の練磨」については僕なりの方法、というか視点はあります。
そもそも「主体性」というのは
「自らの内的衝動によって自ずと行動を起こす」源です。
それは決してスキル的にカバーできるものでなく、
あるいは座学で教えられるものでもなく、
いかに人としての土台を強固にするかが鍵になります。
課題を与えて、それをチームで取り組ませ評価するという方法も
もちろん効果的ではありますが、もっと根本的なところに
メスを入れる必要がある。
例えば、人という字がそもそも表すように、
人が織り成す社会には支え合いというものが原点にあります。
ましてや「人間」となると「人の間」と書く。
いかに関係を適正化するかなのですが、
月並みな言い方をすると、いかに人を思い、人の為に動けるか、
それを各々が実践する、そのことに尽きると思うのです。
要はそれぞれが自律し、助け合い、共生するという
本来の精神(もともと備わっていた利他精神)をひとりひとりが思い出す、
ということです。
とはいえ、自律というのは決して簡単なことではない。
自律的に生きるには、自身が満たされ、その上で
他に意識を置くことに自然に注力できなければならない。
「人の為に」などと書くと「偽」になってしまいますが、
やっぱり、各々が自分以外のすべてにいかに意識を
向けられるかなんだと僕は思うのです。
で、それには、何度も書くように
「すべてがつながりの中に在る」こと、
そして「すべてがひとつであること」を体感的に知ること、
が重要になってくるわけです。
そう、それがわかれば人の為も自分の為もないわけです。
「主体」というとどうしてもパーソナルなもののように思ってしまいますが、
「主体」こそソーシャルな、それも究極的にソーシャルなものなんでしょうね。
といっても、講義があった関係で前半の1時間ほどだけ。
テーマが「主体性が学生を変える、学生が社会を変える」という
興味深いものだっただけに、全部を聴けなかったことが残念だったのですが。
パネルディスカッション」では、まさにこの「主体性」についてが話題の中心でした。
要は「いかに主体性をもたせるか」あるいは「磨くか」ということです。
後半、話がどのように展開したのか気になるところです。
ちなみに、「主体性の練磨」については僕なりの方法、というか視点はあります。
そもそも「主体性」というのは
「自らの内的衝動によって自ずと行動を起こす」源です。
それは決してスキル的にカバーできるものでなく、
あるいは座学で教えられるものでもなく、
いかに人としての土台を強固にするかが鍵になります。
課題を与えて、それをチームで取り組ませ評価するという方法も
もちろん効果的ではありますが、もっと根本的なところに
メスを入れる必要がある。
例えば、人という字がそもそも表すように、
人が織り成す社会には支え合いというものが原点にあります。
ましてや「人間」となると「人の間」と書く。
いかに関係を適正化するかなのですが、
月並みな言い方をすると、いかに人を思い、人の為に動けるか、
それを各々が実践する、そのことに尽きると思うのです。
要はそれぞれが自律し、助け合い、共生するという
本来の精神(もともと備わっていた利他精神)をひとりひとりが思い出す、
ということです。
とはいえ、自律というのは決して簡単なことではない。
自律的に生きるには、自身が満たされ、その上で
他に意識を置くことに自然に注力できなければならない。
「人の為に」などと書くと「偽」になってしまいますが、
やっぱり、各々が自分以外のすべてにいかに意識を
向けられるかなんだと僕は思うのです。
で、それには、何度も書くように
「すべてがつながりの中に在る」こと、
そして「すべてがひとつであること」を体感的に知ること、
が重要になってくるわけです。
そう、それがわかれば人の為も自分の為もないわけです。
「主体」というとどうしてもパーソナルなもののように思ってしまいますが、
「主体」こそソーシャルな、それも究極的にソーシャルなものなんでしょうね。