大正2(1913)年12月12日、母校第一高等学校における「模倣と独立」と題する夏目漱石の講演。
岩波文庫「漱石文明論集」 より)

ちょうど100年前の興味深い講演です。

この100年で僕たちが何か進化したのかというと、そうではなく

残念ながら退化してしまっているのではと考えさせられます。




人は人の真似をするものである。私も人の真似をしてこれまで大きくなった。
P154

同時に世の中には、法律とか、法則というものがあって、これは外圧的に人間というものを一束にしようとする。貴方がたも一束にされて教育を受けている。十把一からげにしてして教育されている。そうしないと始末に終えないから、やむをえず外圧的に皆さんを圧迫しているのである。
P157

一方ではイミテーション、自分から進んで人の真似をしたがる。一方ではそういう法則があって、外の人から自分を圧して人に従わせる。この2つの原因があって、人間というものの特殊の性というものは失われて、平等なものになる傾きがある。
P158

繰り返して申しますが、イミテーションは決して悪いとは私は思っておらない。どんなオリヂナルの人でも、人から切り離されて、自分から切り離して、自身で新しい道を行ける人は一人もありません。画かきの人の絵などについて言っても、そう新しい絵ばかり描けるものではない。ゴーガンという人は仏蘭西の人ですが、野蛮人の妙な絵を描きます。仏蘭西に生まれたけれども野蛮地に這入って行って、あれだけの絵を描いたのも、前に仏蘭西におった時に色々の絵を見ているから、野蛮地に這入ってからあれだけの絵を描くことが出来たのである。いくらオリヂナルな人でも前に外の絵を見ておらなかったならば、あれだけのヒントを得ることは出来なかったと思う。ヒントを得るということとイミテートするということとは相違があるが、ヒントも一歩進めばイミテーションとなるのである。しかしイミテーションは啓発するものではないと私は考えている。
P171





なるほど、人間の生き方のポイント、そして、いかに自律につなげてゆくのか

ということへの大きなヒントとなります。

特にイミテーションを肯定しつつも、啓発するものではないと断定している点。

さらに、




それから、イミテーションは外圧的の法則であり、規則であるという点から、唯打ち毀して宜いというものではない。必要がなくなれば自然に毀れる。唯、利益、存在の意義の軽重によって、それが予期したより10年前に自ら倒れるか、10年後に倒れるかである。またオリヂナルの方が早く自然に滅亡するか、イミテーションの方が先に滅亡するかであって、大して違いはない。片方だけを悪いとは決して言わない。両方とも各々存在するには存在すべき理由があって存在しているのである。殊に教育を受ける諸君の如きものに向かって規則をなくしたらとても始末が付かない。
P171-172




ここで漱石は、当時の若者に、西洋の真似ばかりをしている国民を嘆きながら

自分式のオリヂナル、本式のインデペンデントになるべき時期が来るはずだから

心せよと啓蒙。と同時に、最後は次のように締めくくるのです。




要するにどっちの方が大切であろうかというと、両方が大切である、どっちも大切である。人間には裏と表がある。私は私をここに現していると同時に人間を現している。それが人間である。両面を持っていなければ私は人間とはいわれないと思う。唯どっちが今重いかというと、人と一緒になって人の後にくっ付いて行く人よりも、自分から何かしたい、こういう方が今の日本の状況から言えば大切であろうと思うのであります。
p174-175




社会という決められたルールの中でユニークな自分を取り戻し、羽ばたく。

それは多分、自分の存在意義、使命を知り、理解し、

そして世の中のために具体的に動くことなんだと思います。

大袈裟にではありません。身のまわりの人たちに、自分が関わる人たちに

喜んでいただけるような「働き」をいかにするか
ということでしょうか。

勉強になりました。

ありがとうございます。



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