昨晩、半蔵門線から有楽町線に乗り換える(永田町)
途中のエスカレーターで突然思いました。
「同情」にはエゴがある。
その人の為と介在意識では思っていても
実に潜在的に見返りを期待していたりする。
そう、こちら側の勝手な・・・、
一方的なものだと思うのです。
「いかん、同情は・・・」。
ちなみに、「共感」にはエゴがない。
裏表のない純粋な共鳴です。
そう、双方向のものだと思います。
「共感」には体感が必要です。
いかに喜怒哀楽たくさんの体験があるか。
そして、精神的安定、すなわち中庸の状態に
在ることが必須です。
月並みな言い方をすると「愛という状態に在る」ということでしょうか。
では、どうやって自らを安定させるか、愛という状態に置くか。
まずは、地に足を着けなければなりません。
それには日常での安定したストロークが重要になります。
心を開いて発信すること。
そしてよく聴くこと。
僕が思うに、「愛」という状態は自家発電できないのです。
そういう僕ももちろんまだまだです。
日々、学び。
そして、日々実践。
おわり。
途中のエスカレーターで突然思いました。
「同情」にはエゴがある。
その人の為と介在意識では思っていても
実に潜在的に見返りを期待していたりする。
そう、こちら側の勝手な・・・、
一方的なものだと思うのです。
「いかん、同情は・・・」。
ちなみに、「共感」にはエゴがない。
裏表のない純粋な共鳴です。
そう、双方向のものだと思います。
「共感」には体感が必要です。
いかに喜怒哀楽たくさんの体験があるか。
そして、精神的安定、すなわち中庸の状態に
在ることが必須です。
月並みな言い方をすると「愛という状態に在る」ということでしょうか。
では、どうやって自らを安定させるか、愛という状態に置くか。
まずは、地に足を着けなければなりません。
それには日常での安定したストロークが重要になります。
心を開いて発信すること。
そしてよく聴くこと。
僕が思うに、「愛」という状態は自家発電できないのです。
そういう僕ももちろんまだまだです。
日々、学び。
そして、日々実践。
おわり。