「・・・たとえ接触に成功しなくとも、原形質を研究すれば物質の秘密を知ることができる、なんてことを連中は言っていた。でも、それが自己欺瞞だということが、どうしてわからないんだろう。理解できない言語で書かれた本ばかり集めた図書館を歩き回って、背表紙の色だけを見るようなものじゃないか・・・なんてことだ!」(ケルヴィン)

「こういう惑星はもっと他にもあるのかしら?」(ハリー)

「わからない。あるのかもしれないけれども、わかっているのはこの星一つだけ。いずれにせよ、これは地球とは違って、並外れて珍しい星なんだ。ぼくたちは、ぼくたち人間は、ごく平凡な存在、つまり宇宙の雑草のようなものであって、自分たちがどこにでも見られる雑草であることを、つまり自分たちが平凡であることを誇りにしているんだ。そして、どんなものでもその平凡な器の中に入れられると考えてきた。そんな図式を持って人間は喜び勇んで彼方へと旅立っていったんだ。いざ、別世界へ!でも、それでは別世界というのはいったい何だろう?征服するか、征服されるか。人間たちの不幸な頭脳には、それ以外のことはなかった。いやはや、もう十分。こんなことを話してもしょうがない」(ケルヴィン)
P268-269


ケルヴィンはソラリスでの体験の中で、人間の愚かさに

気づいたようです。

それは、自身の内側にあった罪悪感が引き金になって

真の懺悔に行き着くというような。


どうやら私たちは歴史全体の転換点に立っているようだ――そう私は考えた。・・・(中略)・・・「ソラリス学は宇宙時代の宗教の代用品、科学の衣装を身にまとった信仰である。それが目指す目的であるコンタクトは、聖者たちの霊的交流や救世主の降臨と同様に曖昧模糊としている。・・・(中略)・・・それにしても人は何を待ち望んでいるのだろうか。思考する海と『情報通信のためのコンタクト』をすることによって何が得られると期待しているのか。・・・(中略)・・・しかし、結局のところ、『信者』たちが期待しているのは、そういった科学より詩学の名に相応しい新発見の数々ではないのだ。・・・(中略)・・・それゆえソラリス学とははるか昔に死んだ神話たちの遺児であり、もはや人間の口がはっきりと大声では言えない神秘的な憧憬の精華なのだ。そしてその巨大な建物の基礎の奥深くに隠された礎石になっているのは、〈贖罪〉の希望なのである・・・
P289-290


なるほど、タルコフスキーが映画化 するに当たって最後のシーンで

ケルヴィンを父親の前に跪かせたその意味が理解できました。

人間誰しも、意識の奥底に罪悪感があるものだということです。

で、その罪悪感の根源は「差別意識」にあるのだということが

あらためてわかりました。