スタニスワフ・レムの「ソラリス」 を読みながら

はたと閃きました。



ここでのクリス・ケルヴィンと亡き妻ハリーとの

会話はほとんど「交流のゲーム」です。

つまり、ハリーの背面に無意識の意図、それもクリスへの

マイナスの意図を持った「ゲーム」が常態化しているのです。

(何年も前、ハリーの自殺の直接のきっかけになった

夫婦喧嘩は、逆にクリスのハリーに対する「ゲーム」でした)


クリスに対するハリーの行為はことごとくストローク不足

そして不満から来るものです(一方、クリスのそれも同じような

不満からだったのでしょう)。

しかも、それを誘発するのが結局はクリスのハリーとの過去に

対する「罪悪感」と「情」であることがわかります。

因果は巡るということではあるのですが・・・。


物語が進行してゆくにつれ、後悔からどんなに

今尽くしても、過去の問題を解決することはできないように

描かれます。まさに「覆水盆に返らず」というような。


しかしながら、対象がたとえソラリスによる「イメージの実体化」である

「お客」であっても、ある瞬間正直に素直につながれば

人間関係の問題は必ず解消されるという問いかけ
なんだ

とここで僕は理解しました。



つまり、現実世界に当てはめてみますと・・・、

友人関係、夫婦関係、あるいは恋人関係・・・、

どんな人間関係においても、覆水盆に返ります

ただし、それにはコミュニケーション上の多大な努力が要る。



ならば、一言。

「交流のゲーム」をしないこと。

そのことに尽きるのです。