昨日、「ウェルス・ダイナミクス」という研修の第1日目
に参加しました。
なるほど、自己認識の甘さを痛感しました。
ZERO で「ありのままの自分」と口角泡にしながら
灯台下暗し。自分のことはなかなかわからないものです。
遇々、開いたユングの中に答を見つけました。
さて個性化の目的は、一方ではペルソナという偽りの覆いから、他方では無意識のイメージの暗示力から自己を解放すること、それに他ならない。これまで述べてきたことから、ペルソナが心理学的に何を意味するかは、充分に明らかになったと思う。ところでもう一方の側に関しては、つまり集合的無意識の作用ということになれば、話が違う。われわれはひとつの暗い内面世界のなかを動いているわけであり、この集合無意識の世界は、誰にでも手のとどくペルソナの心理学に比べると、理解するのはいちじるしく難しい。
(中略)
ところが、暗示的な力をほしいままにして意識の世界に押し入ってくる、あのやっかいな内面的過程をみんなにわかるように説明することのほうは、話がまったく別である。これらの働きについて最もてっとり早くイメージをつくりあげるためには、おそらく精神病であるとか、芸術創造のインスピレーションだとか宗教的回心の例の助けを借りれば良かろう。
(P87-88)
以下、ところどころ端折りながら重要点を列記します。
したがって精神病学にとっては、遺伝的な、もしくは後天的な素質こそ、本質的に病因となる因子なのである。おそらく同じようなことがたいていの芸術創造の直観にもあてはまるであろう。・・・(中略)同じようにおそらく、自立的な内面的過程に基づくものであろう。その過程が進行していった頂点が人格変化となって表れるわけである。
意識への侵入は・・・、すでに幼少期に、しばしば多少とも象徴的に、未来の異常な発展を暗示するようないろいろと変わったことが観察されえたことであろう。
(P89)
ユングは「異常な発展」とここでは言及していますが、それは
あえて精神病が例になっているがためです。
いわゆる正常者にも、ペルソナ以外の「集合的無意識の作用」というものは
あるように思います。いや、というより昨日、そのことに思い至りました。
さて、大問題は、無意識的な事象の本質は何かということである。またその性質はどんなものか、ということである。
(P90)
現在のわれわれの経験の及ぶかぎりにおいて、こうわれわれは主張できるであろう。すなわち、無意識的事象は意識と補償的関係にあるのだということである。
かくして本来的自己はつねに、あくまでもわれわれの上位にある存在であり続けるだろう。
意識的自我を補償する無意識的事象は、全体的な心の自己調整に必要な諸要素をすべて含んでいる。
(P92)
以下、延々と考察が続きますが、要は現代で言うところの「スピリチュアリティ」
に対する理解を深めることと、目に見えない世界が目に見える世界と
補完的関係を成しているということを理解せよと言っておられるのだ
と僕は解釈します。
特に幼時体験の中での、いわゆる特別な体験、あるいは事象を
思い起こすことで、そしてそれを認め、受け容れることで
自らの才能が一層花開くのだろうと思います。
に参加しました。
なるほど、自己認識の甘さを痛感しました。
ZERO で「ありのままの自分」と口角泡にしながら
灯台下暗し。自分のことはなかなかわからないものです。
遇々、開いたユングの中に答を見つけました。
さて個性化の目的は、一方ではペルソナという偽りの覆いから、他方では無意識のイメージの暗示力から自己を解放すること、それに他ならない。これまで述べてきたことから、ペルソナが心理学的に何を意味するかは、充分に明らかになったと思う。ところでもう一方の側に関しては、つまり集合的無意識の作用ということになれば、話が違う。われわれはひとつの暗い内面世界のなかを動いているわけであり、この集合無意識の世界は、誰にでも手のとどくペルソナの心理学に比べると、理解するのはいちじるしく難しい。
(中略)
ところが、暗示的な力をほしいままにして意識の世界に押し入ってくる、あのやっかいな内面的過程をみんなにわかるように説明することのほうは、話がまったく別である。これらの働きについて最もてっとり早くイメージをつくりあげるためには、おそらく精神病であるとか、芸術創造のインスピレーションだとか宗教的回心の例の助けを借りれば良かろう。
(P87-88)
以下、ところどころ端折りながら重要点を列記します。
したがって精神病学にとっては、遺伝的な、もしくは後天的な素質こそ、本質的に病因となる因子なのである。おそらく同じようなことがたいていの芸術創造の直観にもあてはまるであろう。・・・(中略)同じようにおそらく、自立的な内面的過程に基づくものであろう。その過程が進行していった頂点が人格変化となって表れるわけである。
意識への侵入は・・・、すでに幼少期に、しばしば多少とも象徴的に、未来の異常な発展を暗示するようないろいろと変わったことが観察されえたことであろう。
(P89)
ユングは「異常な発展」とここでは言及していますが、それは
あえて精神病が例になっているがためです。
いわゆる正常者にも、ペルソナ以外の「集合的無意識の作用」というものは
あるように思います。いや、というより昨日、そのことに思い至りました。
さて、大問題は、無意識的な事象の本質は何かということである。またその性質はどんなものか、ということである。
(P90)
現在のわれわれの経験の及ぶかぎりにおいて、こうわれわれは主張できるであろう。すなわち、無意識的事象は意識と補償的関係にあるのだということである。
かくして本来的自己はつねに、あくまでもわれわれの上位にある存在であり続けるだろう。
意識的自我を補償する無意識的事象は、全体的な心の自己調整に必要な諸要素をすべて含んでいる。
(P92)
以下、延々と考察が続きますが、要は現代で言うところの「スピリチュアリティ」
に対する理解を深めることと、目に見えない世界が目に見える世界と
補完的関係を成しているということを理解せよと言っておられるのだ
と僕は解釈します。
特に幼時体験の中での、いわゆる特別な体験、あるいは事象を
思い起こすことで、そしてそれを認め、受け容れることで
自らの才能が一層花開くのだろうと思います。