ゾシマ長老が青年時代を回想するシーンがあります。

ある種悟りを得て、決闘を避けたゾシマ青年に謎の人物が現れ、

打ち明けます。


「人生が楽園だってことは、わたしも前から考えていました。わたくしはこのことばかり考えているのです。わたくしはそれをあなた以上に確信するものです。なぜかってことは後でおわかりになりますよ。楽園はおのおのの人に隠されています。現に今わたくしの中にも隠されています。だから自分でその気にさえなれば、明日にもその楽園が間違いなく訪れて、生涯うしなわれることはないのです。」

「人間がこの思想を了解する時、天の王国は彼らにとって空想ではなく、事実において現出するのです。それは真実正確な話です」


そのことを自分で宣伝しながら「これはただの空想ではないでしょうか?」

と問いかけるゾシマに、謎の人物は次のように言うのです。

「自分で宣伝しながら信じていらっしゃらない。よくお聞きなさい。あなたのいわゆるこの空想が必ず実現するということは、お信じになって良いんですよ。しかし今じゃありません。なぜって、何事にも特殊な法則がありますからね。もともとこれは心理的、精神的な問題ですから、全世界をあらたに改造しようというには、人間自身が心理的に新しい道へ転じなければなりません。人間がすべての人に対して本当に兄弟同様にならないうちは、世界同胞の実現されるはずはありません。どんな科学の力を借りても、またどんな利子をもって釣ったところで、決して人間は不平なしに財産や権利を分配することはできません。(中略)あなたは、いつ実現するかとお訊ねになりましたが、実現することはしますけれど、まず最初に人間の孤独時代というものが閉ざされねばなりません」
(岩波文庫版第2巻P186-187より抜粋編集)


なるほど、19世紀の末にすでにドストエフスキーは今を見通していたということです。

この言葉は「シンクロニシティ」「ダイアローグ」 、あるいは「出現する未来」

で語られることと直接につながります。