決定的な一文を紹介します。目から鱗でしょう。
たとえば、我々が「自己」と呼ぶものは、なんらかの形での描写であり、したがって何かしらの事物を提示している。この描写は、自己についての一般的な特質が集団で決められているという意味で、集団的である。そして、自己についての個々の詳細は個人的に決められているのだ。人には自己があるという考え方は、世界中で一致している。
(中略)
もう一つの例として、虹を上げよう―誰もが同じ虹を見る。虹についての集合的な描写が存在する―それについて誰の意見も一致している。だが、事物を「文字通り」に見る物理学ではこう言う。「いや、虹などというもの存在しない。多数存在している水滴を、太陽を背にして見ると、水滴によって陽光が反射、屈折して複数の色を帯びる。これを見たとき、一人ひとりが虹というものの認識を作る。それがどれもよく似ているため、みなが同じ虹を見ていると考えてしまうのだ」。だが重要な点は、集団的な描写―たとえば国家、宗教、ゼネラル・モーターズ社、利己主義など―の多くが、虹と同じような性質を持っているということだ。厳然たる現実として我々がとらえている大半のものは、まさに虹と同じことなのである。実際のところ、それが悪いわけではない。問題が起きるのは、そうした事態が起きていることに我々が気づいていないからである。
(P132-133)
すべては人が勝手に名前を付けた「幻想」ということですかね。
「真実」を見極めることが重要ですが、それは難しいことではなさそうです。
集合的なものであれ個人的なものであれ、あくまで「描写」に過ぎない
ということに気づくことですね。
たとえば、我々が「自己」と呼ぶものは、なんらかの形での描写であり、したがって何かしらの事物を提示している。この描写は、自己についての一般的な特質が集団で決められているという意味で、集団的である。そして、自己についての個々の詳細は個人的に決められているのだ。人には自己があるという考え方は、世界中で一致している。
(中略)
もう一つの例として、虹を上げよう―誰もが同じ虹を見る。虹についての集合的な描写が存在する―それについて誰の意見も一致している。だが、事物を「文字通り」に見る物理学ではこう言う。「いや、虹などというもの存在しない。多数存在している水滴を、太陽を背にして見ると、水滴によって陽光が反射、屈折して複数の色を帯びる。これを見たとき、一人ひとりが虹というものの認識を作る。それがどれもよく似ているため、みなが同じ虹を見ていると考えてしまうのだ」。だが重要な点は、集団的な描写―たとえば国家、宗教、ゼネラル・モーターズ社、利己主義など―の多くが、虹と同じような性質を持っているということだ。厳然たる現実として我々がとらえている大半のものは、まさに虹と同じことなのである。実際のところ、それが悪いわけではない。問題が起きるのは、そうした事態が起きていることに我々が気づいていないからである。
(P132-133)
すべては人が勝手に名前を付けた「幻想」ということですかね。
「真実」を見極めることが重要ですが、それは難しいことではなさそうです。
集合的なものであれ個人的なものであれ、あくまで「描写」に過ぎない
ということに気づくことですね。