鋭敏さの障害となっているものは、自分の想定や意見を守ろうとする行為である。



「存在すること」とは何かと関係することだと、クリシュナムルティは言った。だが、関係とは、非常に痛みを伴うものになりうる。クリシュナムルティはこう述べた。あなたはあらゆる心理過程を考え、探り、そして克服せねばならない。そうすれば、何か他のものへ通じる道が開かれる、と。

(P103-104)


やはり、自分の「思い込み」や「枠」に「気づく」ことが大切ですね。

まぁ、「器の大きさ」を知ると言い換えてもいいかもしれません。

一旦「枠」が認識できると、守ろうとする行為は起こりません。

そして、そこから直感が「冴える」のだと思います。

その状態で「対話」が為されたときに「ひとつになる」のでしょう。

クリシュナムルティは「痛み」と言いますが、第三者にとって「痛み」

に見えることでも、「ひとつになった」関係においては「痛み」でなくなるものです。