ワークショップZERO
の第1日目が終了しました。
何と今回は夏休みということもあり、
中学生、高校生が参加しております。
かつてのセミナー仲間が親になり、息子や娘を
受講させたいということで実現しました。
しかしまぁ、いろいろとあります。
僕の方が勉強させてもらっていると言っても
言い過ぎではありません。
1日を終え、気づいたこと。
今世間ではいろいろといじめの問題などが
取り沙汰されています。
もちろん教育システムの問題、あるいは家庭の
問題などそれぞれに解決しなければならない
ことはたくさんあります。
枝葉をいくらいじっても根本が解決しないことには
どうにもならないように思います。
とはいえ、子ども側にも問題があるのでは?
子どもの世界には子どもにしかわからない、
または見えないこともあるように思います。
ある一定のラインを越えたところは親や大人が
介入して助けなければならない面もあると
思いますが、かといって過保護になってもいけない。
要は、子どものある意味残酷な世界(あるいは幼稚な世界)
でも立ちまわれる強さ(否定に立ち向かう強さ)も
一方で培わなければなりません。
それにはやっぱりある程度の厳しさ、それも根底に愛のある
厳しさが必要かな・・・。
そんなことをふと感じた1日でした。
明日も1日彼らに向かい、勉強させていただくつもりです。
何と今回は夏休みということもあり、
中学生、高校生が参加しております。
かつてのセミナー仲間が親になり、息子や娘を
受講させたいということで実現しました。

しかしまぁ、いろいろとあります。
僕の方が勉強させてもらっていると言っても
言い過ぎではありません。
1日を終え、気づいたこと。
今世間ではいろいろといじめの問題などが
取り沙汰されています。
もちろん教育システムの問題、あるいは家庭の
問題などそれぞれに解決しなければならない
ことはたくさんあります。
枝葉をいくらいじっても根本が解決しないことには
どうにもならないように思います。
とはいえ、子ども側にも問題があるのでは?
子どもの世界には子どもにしかわからない、
または見えないこともあるように思います。
ある一定のラインを越えたところは親や大人が
介入して助けなければならない面もあると
思いますが、かといって過保護になってもいけない。
要は、子どものある意味残酷な世界(あるいは幼稚な世界)
でも立ちまわれる強さ(否定に立ち向かう強さ)も
一方で培わなければなりません。
それにはやっぱりある程度の厳しさ、それも根底に愛のある
厳しさが必要かな・・・。
そんなことをふと感じた1日でした。
明日も1日彼らに向かい、勉強させていただくつもりです。