ある本を読んでいて

膝を打ちました。

「平等」という概念が

そもそも二元論的な思考の産物なのだと。

それはつまり人間が作った作為的概念だということです。

「平等」という思考から「競争」が生まれる。

例えば、

バドミントンなどのスポーツでは、コートの広さを平等にし、

競争します。

一方、日本古来の「羽子板」には平等なコートはなく、

いかにラリーを継続するかが重要かが書かれていました。


そもそも自然界には常に高低があり、差異があります。

それによってすべてが流れ、

真の調和と創造へと向かうことができるというのです。


例えば、水はひとところに留まれば淀みます。

常に流れているからこそきれいな水でいられる。

流れを止めないためには「高低」がなくてはならない。


なるほど、高いから良い、低いから悪いというのではなく、

「高低」が「ひとくくり」だということでしょうかね。

おおいなる発見です。