乗り心地の悪い救急車にちょっぴり不安になりながら、
医療センターに着きました。
救急車の到着をまっていた沢山のスタッフ。
「もう大丈夫ですからね~
」
と看護師の励ましをうけました。
その時、夫に預けていた指輪
が救急車の奥に音をたて転がっていきました。
(小指にはめていました)
「あっっ」
ストレッチャーの上からその行方を見守りましたが、夫が捜しだそうとしていたのに病院のストレッチャーに乗り換え作業が始まり、
「後でさがして下さい。急ぎます」
(後でっていつ?)
と言われてしまいました。
救急車隊員さんたちが探してくれるのかな?
と呑気に構えていましたが、処置室までついてきて説明がおわり、帰っていってしまいました。
私の指輪~~~![]()
薄暗い陣痛室のベットに移動させられ、担当医を待っていました。
夫に
「明日、消防署にいって指輪探してきてね」
とお願いしました。電話して探しておいてもらうようにも伝えておきました。
そんなことより、お腹の良樹に心配をそそぎましょう。
担当医の診察が始まりました。内診の間に流れだす羊水。もう内診しないで~
と思いましたが、中の様子を把握するためには、大事な作業です。中の赤ちゃんには問題はいけど、羊水が少なくなってきていて、苦しそうだということ。でも。へその緒で繋がれているので酸素は流れています。
担当医から、説明が始まりました。
「高位破水を起こしています。もしかしたら、感染症をおこしているかもしれないので、血液検査をします。まず、今の23週での出産はボーダーラインでして、生存率が非常に低くなりますし、未熟児網膜症になる可能性も高いですし、脳内出血のリスクもあります。色々な障害が残る可能性も高いです。とりあえず、ベットでの安静と陣痛を起こさないようにこのままウテメリンの投与を続けます。26週まではもたせましょう。そうすると、生存率もぐっと上がります。」
と、週数による生存率の違いによるグラフをみせられました。
「それと、赤ちゃんをお母さんの子宮に一日でも長くおいておくことが、肺にとってとてもいいです。たとえその週数では小さすぎる赤ちゃんが生まれても、呼吸器をつけなくてもいい状態の場合があります。まずは入院して安静。がんばって26週以上をめざしましょう。」
ええ~、美咲の誕生日は?保育園は?食事は?
長い期間離れるのは初めてなので不安が・・・。
お腹の中の子は、私と一緒だし病院で管理してもらえるから、家でまつ美咲の安否が気になってしかたがありません。妹がいてくれなかったら、どうなっていたことか・・
病棟の一番奥の部屋の一番奥が私のベットでした。密かに上座と喜んでいた私。でも、ナースステーションからは一番遠いのですが・・・
トイレはベットの上でを、懇願して許してもらいポータブルトイレをベットの横に置いてもらいました。
カーテンをしめても、臭いは残るし消臭スプレーなんてなんの役にもたちゃしない。
食事も横になって肘をついてたべました。歯磨きも横になったまま。ベットでの孤島生活みたいです。
これを、17日間続けました。風呂にも入れない、清拭をしてもらってました。出産までの間に二回程髪を洗ってもらいました。ベットを斜めに移動して頭の部分を外して、専用のシャンプー台を運び込み病室でジャーとね。まるで
王様気分
。余は満足じゃ。かな。
毎日、羊水はチョロチョロと流れていましたが、赤ちゃんは元気だし経過をまつしかありませんでした、流れる羊水に対して作られる羊水がおいつかなくなったころ、担当医が
「そろそろ苦しくなってきているので、24日に帝王切開でだしましょう。」
「きっと1000グラムに足りないくらいだね。」
そんなちいさな赤ちゃんテレビでしかみたことない・・・。
でも、同室の人が
「この病院は紹介状がなくては無理だし、かといってすべてのハイリスクの妊婦を受け入れてくれるほどベットが空いているってわけでもないから、入院できた私たちはラッキーだよ、もっと遠くの病院しか受け入れてくれることができない人もいるし、母子医療では日本一のはずよ。せんせい達の腕も確か。上の子もここでうんでいるから、安心だよ。」と、教えてくれてたので、不安は和らいでいきました。
そして手術前前日の晩、じわじわと陣痛が始まり(無視してねました)翌日の23日、良樹が誕生したのです。
ここまでで、アンビリーバボーだったこと。
①もう限界ということで24日には赤ちゃんをだしましょう、という先生の読みがたった一日だけしか違わなかったこと。
(でも、23日は祝日。医療体制が万全ではない。22日だと祝日の前の日なので手術の翌日に容体が悪化した場合のことを考えて24日に予定したのでした)
②うまれた良樹の体重。1000グラムを微妙にきってました。
(992グラム)
でもホントのアンビリーバボーは別にあったのです( ´艸`) 続きます