第十話



42歳、さらに新たな挑戦。



環境、健康、農業。そんな言葉が頭から離れなかった。




建築関係の仕事は続いていた。



だが将来には不安があった。



俺は腕に覚えのある職人ではない。



資格を持った技術者でもない。



言ってしまえばただのブローカー。



きれいに言えば建材商社だった。



メーカーと工事業者の間に入り、仕事をまとめるのが役目だ。



もちろん仕事はあった。



だが、ふと思った。



この立場で本当に利益は増えていくのだろうか。



そんなことを考えるようになっていた。





そんな不安を抱えていた当時の俺は、



環境



健康



農業



この三つが、



これからのビジネスのキーポイントになるのではないかと、



おぼろげに思っていた。





その中でも、



最初に興味を持ったのは健康だった。



きっかけは自身の痛風である。



当時の俺は毎年のように、



痛風の激しい発作に苦しんでいた。



なのに、西洋医学を忌み嫌っていた為に、



主治医の言うことも聞かず、



薬も拒否していた。



だから何度も何度も、



毎年同じ時期に痛風発作を繰り返していた。





しかも発作が始まると厄介だった。



運転もできない。



歩くことすらできない。



ひどい時には一か月近く動けないこともあった。



どうしても外せないお客様との約束がある時は、



奥さんに車を運転してもらい、



現場まで連れて行ってもらったことも何度となくある。



今振り返ると、



奥さんにはずいぶん迷惑をかけていたと思う。





そんなある日だった。



当時所属していた奉仕団体の懇親会で、



たまたま隣に座った先輩のKさんに痛風の話をした。



するとKさんは、




「そんなの簡単に治るよ。」




とさらっと言った。



俺は心の中で思った。




そんなわけがあるか。






とは思いつつも、



だいぶ疑わしかったが、



翌日にはKさんの事務所へ飛び込んでいた。



痛みのほうが勝ったのだろう。



紹介されたサプリをあっさり試してみた。



すると少しずつ改善していった。



それには正直驚いた。





Kさんの会社では健康関連事業も行っており、



その中の一つに整体学院があった。



健康産業への興味から、



俺はそこで整体を学ぶことになる。



施術だけではない。



食についても学んだ。



健康についても学んだ。



今まで当たり前だと思っていたことが、



当たり前ではないことを知った。



結婚当初、




「ヤギじゃないんだから野菜は食わせないでください。」




と奥さんに頼んでいた自分が懐かしい。



そして健康への興味はどんどん深くなっていった。




こうしてまた、俺の唐突な行動がひとつ始まった。








フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。




だいふく








第九話



俺がダメでも

妻が動いた。



数年間は、奥さんに食わせてもらっていたようなものだ。





独立して数年が経った。




仕事は少しずつ増えていた。




だが、生活は相変わらず楽ではなかった。




忙しい。

でも儲からない。




そんな毎日だった。




今思えば、

独立したばかりの新人が、

そう簡単に利益を出せるわけがない。




仕事があるだけまだ良かったのかもしれない。






そんなある日、

うちの奥さんが言った。





「私も営業に行こうか?」





それまでも、

図面を届けたり、

見積書を届けたり、

事務仕事を手伝ったりしてくれてはいた。




でも、営業となると話は別だ。





「営業ってどうしたらいいの?」





そう聞かれた俺は、こう答えた。





名刺を渡して

ニコニコしてれば大丈夫。





今思えば、

とんでもなくいい加減なアドバイスだった。




だが、奥さんは素直だった。




本当にその通りにやった。






当時の行政営業は、

今のようにメールやネットではない。




とにかく顔を出す。

顔を覚えてもらう。




それが大事だった。




一度行って終わりではない。




何度も行く。

忘れられないようにまた行く。




そんな地道な営業だった。




そして数年後、

奥さんは大きな仕事を受注する。





受注額2,000万円。





それは図書館の家具工事の仕事だった。




もともと家具やインテリアには興味があった。




今思えば、

後の仕事にもつながる、

奥さんらしい受注だったのかもしれない。




正直、俺も驚いた。




もしかすると、

営業の才能は俺よりあったのかもしれない。






だが、奥さんの挑戦はそれだけでは終わらなかった。




子どもの教育にも熱心だった奥さんは、

ある時、子ども向けの木製家具を作りたいと言い出した。




ままごとキッチンだった。




当時も似たような商品はあったが、

デザインは今ひとつだった。




ならば、自分で作ればいい。




そう考えたのだろう。




製品をデザインし、

製造工場を探し、

価格交渉をし、

販売方法まで考えた。




そして、ネット販売を始めた。






俺も手伝った。




集荷。
 
梱包。

発送。




気がつけば、

自分の仕事より、

そちらを手伝っている時間も増えていた。




今思えば、

数年間は奥さんに食わせてもらっていたようなものだ。






しかもその頃、

子どもはまだ小さかった。




子育てをしながら、

営業をし、

商品を作り、

販売する。




今振り返ると、

一番肝が据わっていたのは、

俺ではなく、

奥さんだったのかもしれない。




当時は素直に感謝の気持ちを伝えられなかった。




でも今は、

感謝しかないと思っている。





フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。



だいふく








第八話



1億円借りるつもりだった。



あの頃、本気で人生が変わると思っていた。





30代前半の頃だった。




バブルは崩壊し、

世の中には競売物件があふれていた。




今の人には信じられないかもしれないが、

当時は本当にそんな時代だった。




当時所属していた団体の先輩は、

総工費2億円ほどかかったビルを、

競売で4千万円で手に入れた。




そんな話が、

あちこちに転がっていた。






その頃、PTAで一緒だったIT会社の社長がいた。




その人は不動産にも詳しく、

アパートを何棟も所有していた。




何より、余裕があった。




慌てていない。

資金繰りに追われている様子もない。




当時の俺には、

それがとても羨ましかった。




今思えば、

マンションが欲しかったのか、

あの人の持っていた余裕が欲しかったのか、

よくわからない。




たぶん、

両方だったのだと思う。






その方の会社によく出入りしていた頃だった。




ある日、

その社長から面白い話を聞いた。




まだ多くの不動産業者にも広まっていない、

銀行筋の情報だった。




県庁所在地の中心部。

しかも県庁のすぐ近く。




50戸ほどのマンションがあるという。




価格は9千万円。




最初は耳を疑った。

本当にそんな値段なのかと。




実際に見に行って、さらに驚いた。




大きい。

とにかく大きい。




外観だけ見れば、

とても1億円以下の物件には見えなかった。




何かの間違いじゃないかと思った。




そして、

一度見ただけでは信じられず、

何度も足を運んだ。




見れば見るほど、

欲しくなった。





本気で、

人生が変わると思っていた。







当時の家賃は、

一部屋8万円ほどだったと思う。




50戸あれば、

単純計算でもかなりの金額になる。




もちろん、家賃収入のほとんどは返済に回る。




それでも良かった。




毎月決まった収入が入る。




その安心感は、

当時の俺にはとても魅力的だった。




手形。

資金繰り。

入金待ち。




そんな毎日だったからだ。






そして俺は、

県内最大手の第一地銀へ相談に行った。




今思えば、

よくあんな話を持ち込んだと思う。




自己資金はほとんどなかった。




担保も購入予定のマンションだ。




失笑されて、

追い返されてもおかしくない話だった。




ところが、銀行は真剣だった。




担当者だけではない。

融資課長まで何度も足を運んでくれた。




本当に驚いた。




もしかしたら、

家賃収入で返済できる計画だったからかもしれない。




理由はわからない。




でも、

あの銀行の人たちは本気だった。




そして、俺も本気だった。






実は、妻も乗り気だった。




普通なら、

「やめておきなさい。」

と言われてもおかしくない。




でも違った。




面白そうだし、

うまくいくかもしれない。




そんな期待を、夫婦で抱いていた。




今思えば、

夫婦そろって夢を見ていたのだろう。






そして結果は、

融資否決だった。




担当者はわざわざ会社まで来て、

結果を伝えてくれた。




今思えば、

あれだけ何度も足を運んでくれたのだから、

担当者も悔しかったのかもしれない。




あの時は、奈落の底だった。




本気で欲しかったからだ。




本気で、

人生が変わると思っていたからだ。




もちろん、落ち込んだ。




もっとも、俺は立ち直りも早い。




数日後には、

次のことを考えていたと思う。






あのマンションは、今はもうない。




新しい建物に建て替えられている。




もし買えていたら、

どうなっていただろう。




正直、わからない。




老朽化した建物を維持できただろうか。

建て替える資金を用意できただろうか。




修繕費に苦しんでいたかもしれない。

もっと大変なことになっていたかもしれない。




今となっては誰にもわからない。





ただ一つだけ言えることがある。

あの時の俺は本気だった。





本気で1億円借りるつもりだった。




そして、

本当に1億円の借金を抱えることになるとは、

この時はまだ夢にも思っていなかった。






フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。




だいふく








第七話



独立するつもりは

なかった。



気がつけば、そうなっていた。

でも、やると決まれば腹はくくった。





29歳で独立した頃、

すでにバブルは崩壊していた。




世の中には、

どこか重たい空気が漂っていた。




景気が良いとか、

これから伸びるとか、

そんな雰囲気はどこにもなかった。




むしろ、

「これからどうなるんだろう。」




そんな不安の方が強かったと思う。




そんな時期に独立する俺を、

周りの友人や、

親しくしていた取引先の人たちは、

ほぼ全員止めた。





「今はやめておけ。」

「こんな時期に独立なんて考え直せ。」

「もう少し様子を見た方がいい。」





みんな、

そう言ってくれた。




今思えば、

当然だと思う。




実は俺自身も、

積極的に独立しようと思っていたわけではない。




あの冬の日、

高速道路の仕事から帰ってくると、

電話が入っていた。




しかも一本ではない。




二本だった。




あの電話が、

その後の流れを大きく変えることになる。




その時は、

そんなこと思いもしなかったが。




気がつけば、

独立する流れになっていた。





だから、

腹をくくるしかなかった。





怖さがなかったわけではない。




むしろ不安だらけだった。




ただ、

やるしかなかった。






ただ、

運は良かった。




独立前にお世話になっていた方々から、

次々に声をかけていただいた。




仕事は薄利だった。




バブルが崩壊した直後だ。




仕事があるだけまだましだった。




利益を選べるような時代ではなかった。




それでも、

仕事があるだけありがたかった。




独立したばかりの俺にとっては、

声をかけてもらえるだけで救いだった。




仕入れ先も、

口座を開いてくれるところが多かった。




これは本当に助かった。




もし元いた会社が、

メーカーに圧力をかけていたら、

俺は仕入れすらできなかったと思う。




当時は、

独立した人間に商品を出させない、

そんな話も珍しくなかった。




そうなれば、

仕事を取っても商品が入らない。




商売にならない。




そういう意味では、

元いた会社にも感謝している。






俺はバブルの頃、

まだサラリーマンだった。




だから、

いわゆるバブルのおいしい思いはしていない。




ただ、

当時の話はいろいろ聞いた。




内装業の社長や、

金属板金の社長から聞いた話だ。




十分に利益を乗せた請求書に、

さらに200万円を上乗せして出すよう、

現場監督から指示されることもあったらしい。




その上乗せ分は、

ゴルフや飲み代に使われたという。




今では考えられない話だ。




でも、

そういう話を聞くたびに、

バブルという時代の凄さだけは伝わってきた。




たしかに、

夜中の2時頃でも、

元請け会社のビル全体に明かりがこうこうとついていた。




みんな、

普通ではない働き方をしていた。




普通ではないお金の動きもあった。




そんな時代だった。






でも、

俺が独立した時には、

その宴のような時代は終わっていた。




バブルのうまみは、

俺のところには残っていなかった。




残っていたのは、

不況の空気と、

薄利の仕事と、

手形と、

資金繰りだった。




それでも、

やるしかなかった。




止められても、

不安があっても、

景気が悪くても、

もう後ろには戻れなかった。






振り返れば、

あの独立からだった。




これから先、

環境産業に関わることになるとも、

健康産業に関わることになるとも、

農業にまで関わるようになるとも、

この時は想像もしていなかった。




ただ、

気がつけばそうなっていた。




不思議なものだ。




自分で人生を決めてきたつもりだった。




でも、

振り返ると、

人生の方が俺の行き先を決めていたような気もする。





ただ一つだけ言えることがある。

やることが決まれば、

腹はくくった。





それだけは今も変わらない。






フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。




だいふく








第四話




手形割引所を備える?

とても不思議な企業




やってみなければわからない。

でも、周りの声に耳を傾けることも大事だ。








集金に行ったら、
請求額の7割しか入っていない手形を渡された。




「残りの3割は?」




そう聞くと、
経理担当者は不思議そうな顔をした。




こちらの方が、
よほど不思議だった。




前話から手形のことを何度か書いているが、
手形は何かと怖い。




だから自分で振り出すことは、
しないようにしようと思っていた。




ただ、
いただく手形に関しては、
こちらで何とかしなければならない。




契約時に
「支払いは現金でお願いします」
と交渉はする。




しかし建設関係の仕事では、
なかなかそうはいかないのが現実だった。




受け取った手形は期日まで待つか。
どこかに回すか。
それとも割って現金化するか。




仕事を受ける時に値引きされ、
手形を現金化する時にもまた引かれる。




薄利の商売なのに、
「俺は何のために仕事をしたんだろう」
と感じることもあった。











手形を割り引く場所はいくつかある。




一般的には、
金融機関で割り引くのが普通だろう。




ただ中には、
手形がよくわからないところに流れてしまうケースもあるらしい。




そうなると、
見知らぬ人間が取り立てに来るという、
恐ろしい話も耳にした。




幸い、
俺にその経験はない。




ただ、
手形というのは、
それだけ怖いものだということだ。




でも、
もっと不思議な経験をしたことがある。











ちょっと怖いアドバイス。




ある企業の仕事をご紹介いただき、
初めて取引することになった。




その会社については、
あまり良くない評判も耳にしていた。




別の知人からは、
こんなことも言われた。





「仕事を受けるなら、覚悟して取引した方がいい。」





今なら、
その言葉の意味がよくわかる。




でも当時は、
独立したばかりの身だ。




少しでも仕事をしなければ、
食べていけない。




いくつか忠告は受けたが、
結局その仕事を受けることにした。











え? 何これ?




仕事は無事終わった。




そして翌月末、
集金に伺った。




そこで渡されたのは、
請求額より3割少ない手形だった。




理由など聞いていない。
説明もない。




どうやら、
この会社ではそれが当たり前のようだった。





「え? 何これ?」





経理担当者に理由を聞くと、
逆に不思議そうな顔で、
「え? 何か?」
と聞き返された。




ああ、
これか。




みんなが言っていた
「覚悟」
って…。




背中に冷たいものを感じた。




少し粘ってみたが、
全く交渉にならない。




諦めて帰ろうとすると、
経理担当者がこう言った。





「その手形、割れますよ。

玄関を出て左の建物です。」





最初、
言っている意味がよくわからなかった。




恐る恐る行ってみると、
本当に手形割引所があった。




パチンコの景品交換所みたいな感じ、
と言えばパチンコを知っている方には伝わるだろうか。




「何これ珍百景」に投稿したくなるような会社だった。











その手数料、銀行より高いんですけど。




試しに、
さっき受け取ったばかりの手形を
割り引いてもらった。




すると、
手数料は銀行より微妙に高かった。




銀行で割れない人。
急いで現金化したい人。
手形を回せない人。




そういう事情を抱えた人が、
ここを使うのだろう。





職人さんへの支払いは現金だ。

これは、困っている人の足元を見た商売じゃないのか。





そう思うと、
何とも言えない気持ちになった。











損切りして、二度と行かなかった。




結局、
残り3割が払われることはなかった。




いや、
正確には少し違う。




次の仕事を受ければ、
その3割は払われる。




でも、
今度はその仕事がまた3割引かれる。




つまり、
仕事を続ける限り、
3割は永遠に戻ってこない。




完全に人質状態だった。




だから損切りして、
この会社とは二度と仕事をしなかった。




後から周りに、
「だから言っただろ」
と言われたのは、
言うまでもない。









やってみなければわからない。




でも、
周りの声に耳を傾けることも、
経営者の大事な仕事なんだと悟った。




そしてもう一つ。




取引先を選ぶことも、
立派な経営判断なのだと思った。









フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。




だいふく









第六話




行政の仕事って、

現金払いなの?




金もコネもつてもないなら、考えろ。





手形に泣かされていた頃、

ふと資金繰りに苦労していない仲間のことを思い出した。




そいつは、

行政の仕事が8割を超えていると言っていた。




しかも、

支払いは現金だからと。




ならば俺も、

行政にシフトするしかない。









壁は高く、しかもすぐそこにあった。




行政の仕事を取るには、

まず入札参加資格の登録が必要だ。




書類を揃え、

審査を受け、

登録して、

やっとスタートラインに立てる。




しかも実績がなければ、

参加できないケースも多い。




独立したばかりで、

実績などあるわけがない。




書類も手続きも複雑だった。




何が必要で、

何を揃えればいいのか、

最初は全くわからなかった。




そもそも法人じゃなくても、

相手にしてくれるのかな?




いろんな不安はあった。




それでも動いた。









行政の購入方法は、いくつかある。




一般競争入札、

指名競争入札、

見積もり合わせ、

随意契約。




大きく分けると、

こんな方法がある。




このうち指名競争入札は、

行政側が指名した業者しか参加できない。




当然、

名も知れぬ新参者が

指名されるわけがない。




となれば最初に狙えるのは、

入札情報さえ掴んでいれば参加できる

一般競争入札だ。




しかし、

ここにも高く大きな壁があった。









談合という現実。




当時の行政の入札には、

談合が横行していた。




今はだいぶ変わったが、

あの頃はそれが業界の現実だった。




談合とは、

力のある企業が中心となり、

参加企業があらかじめ話し合って、

誰が落札するかを決めておく仕組みだ。




落札する企業は事前に決まっていて、

他の会社はわざと高い金額で入札して、

負け役を演じる。




そして手数料を得る。




うまくいけば、

他の案件で自分が落札させてもらえることもある。




そんな仕組みだ。




その談合組織に入ろうとしても、

そう簡単には入れない。




一社あたりの分け前が減るからだ。




至極まっとうな理由だ。




では、

どうするか。









メーカーが、鍵だった。




一般競争入札であっても、

談合は行われていた。




なぜ参加業者がわかるかというと、

そこにメーカーが絡んでいるからだ。




入札情報が出ると、

参加企業はメーカーに見積もりを取りに行く。




するとメーカーは、

「あの会社もこの会社も見積もりを取りに来た」

と自然に把握できる。




その情報が、

談合組織に流れる仕組みだ。




ならば逆手に取ればいい。





メーカーに見積もりを依頼しなければ、

こちらの存在を知られない。





俺は自分で落札予定価格にあたりをつけ、

ギリギリでも利益が取れる数字を

自分で予測した。




そして誰にも知られないまま、

談合組織が調整した価格の下をくぐって

入札した。









「あの業者は、何者だ。」




狙い通り落札できた。




メーカーは困ったと言ってきた。




でも落札した以上、

製品を出さないわけにはいかない。




行政側も、

落札した業者から買うしかない。




談合組織もざわついたはずだ。




でも俺は素知らぬ顔。




そんな組織があるなんて、

全く知りませんでした。




という顔で。




ずうずうしくも、

それを数回繰り返した。









狙い通りに、事は進んだ。




やがて声がかかった。





「ちょっと話がしたい。」





談合組織からだった。




しめた、

と思った。




その組織に入れてもらえれば、

指名競争入札にも声がかかるようになる。




行政からの指名が

入るようにもなる。




メーカーも、

知らぬ顔はできない。




そしてその後、

そのメーカーは渋々だが

取引口座を開くことになる。




現金払いの仕事を取りに行ったことで、

気づけば一石三鳥だった。









金もコネもつてもないなら、考えろ。




誰かに頼める金はなかった。




業界のつてもなかった。




コネも実績もなかった。




でも、

仕組みを読むことはできた。




動くことはできた。




壁があるなら、

壁の構造を理解しろ。




そうすれば必ず、

どこかに隙間がある。




金もコネもつてもないなら、

考えろ。




それだけだ。







知らないことは、怖い。




でも、知らなかったからこそ、

飛び込めたこともある。









フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。




だいふく









第五話




スズメは、今日も

地面をつついていた。




野に出ると、

生き物の見え方が変わる。








独立してしばらくした頃だった。




事務所の外に、
スズメが何羽かいた。




朝から地面をつついている。
必死に何かを探していた。




あいつらは毎日、
自分でエサを探して生きている。




誰かが、
毎月決まった日に
エサを置いてくれるわけじゃない。





ああ、俺も同じ世界に来たんだな。















軽い言葉が、やけに遠かった。




その頃、
サラリーマン時代の同僚から電話があった。




いつも
「いつか独立したい」
と言っていた男だ。




近況を聞かれたので、
資金繰りのこと、
手形のこと、
銀行のことを話した。





「大変やな。」





悪気はないのはわかる。




でも、
その言葉が、
やけに遠く感じた。




「飲みに行こうや。」
と軽く言われたが、
そんなお金も、
気力も、
時間も、
あの頃の俺にはなかった。














野に出るということ。




サラリーマン時代にも、
プレッシャーはあった。




上司に怒られることもあれば、
ノルマに追われることもある。




でも、
独立後の重圧とは、
まるで違った。




野に暮らすスズメやタヌキみたいに、
自分でエサを探さなきゃならない。




仕事が取れなければ、
売上はゼロ。




子供にだって、
食べさせてやれない。





野に出ると、

空気そのものが変わる。















その日も、
スズメは地面をつついていた。




文句なんか言わない。




誰かのせいにもしていない。




ただ、
生きるために動いている。




ああ、
野に出るって、
こういうことなんだなと思った。





自分で生きていく。

ただ、それだけだ。










知らないことは怖い。

でも、知らなかったからこそ、

飛び込めた世界もある。









フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。




だいふく









第三話



事業を始めたという届けが必要?

それ、誰に届けるの?



知らないまま、俺は静かに損をしていた。







前回、手形をもらって冷や汗をかいた話を書いた。
今回は、その続きだ。




あの頃は「集金日」というものがあった。
今みたいに銀行振込が当たり前ではない時代だ。




お客様ごとに決められた締め日に請求書を出し、
決められた日に、どんなに遠くても集金に行く。




片道1時間半なんてことも普通にあった。
もちろん交通費も時間も全部自分持ちだ。




集金した現金や小切手は、集金袋に大事に入れて持ち帰る。
今思えば、随分おおらかな時代だったと思う。




ただ、建設業界の支払いは、現金よりも手形が多かった。
しかも90日、120日先なんて当たり前だ。










手形が現金になるまで、俺はどうする?




手形が現金になるのは数ヶ月先。
でも、材料代や仕入れ代金は翌月末には払わなければならない。




お金が入る前に、お金が出ていく。




独立して初めて、
「資金繰り」という言葉の意味を、
身体で理解し始めていた。




そんな時、
「手形を割る」という方法を知った。





「これなら、なんとかなるかもしれない。」





そう思って、
俺は銀行へ向かった。










銀行に、相手にされなかった。




銀行の窓口で、
俺は手形を差し出した。




「これ、現金になりますか?」




今思えば、
相当みっともない聞き方だったと思う。




窓口の女性は少し困った顔をして、
奥の担当者を呼びに行った。





「開業届、出してますか?」





そう聞かれて、
俺は言葉に詰まった。










開業届? それ、何ですか。




恥ずかしい話だが、
俺はその言葉自体を知らなかった。




「事業を始めました」
と税務署に届ける紙があるらしい。




そんなこと、
誰からも聞いていなかった。




毎日、
仕事を取ること、
材料を仕入れること、
集金に行くこと、
それだけで頭がいっぱいだった。




「届け出を出す」
なんて発想は、
頭の片隅にも存在していなかった。










知らないと、静かに損をする。




開業届を出していないと、
青色申告もできない。




税金でも損をするし、
銀行との取引もスムーズに進まない。




俺は、
知らないまま、
数ヶ月間ずっと損をし続けていたのだ。





あの頃の俺に教えてやりたい。

「まず税務署に行け」と。











独立するということは、誰も教えてくれないということだ。




サラリーマン時代は、
わからないことがあれば、
上司や先輩が教えてくれた。




でも独立したら、
誰も教えてくれない。




知らないことは、
自分で気づくか、
誰かに偶然教えてもらうしかない。




開業届のことを知った日、
俺は、
自分の無謀さを初めて思い知った。




でも今思えば、
あの頃の俺は、
知らないことだらけだった。




そして、
知らなかったから、
飛び込めたのかもしれない。







経営の知識なんて、
本当に何もなかった。




それでも、
必死だった。







フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。




だいふく




読んでくれてありがとう。



まず、俺がどんな人間か知ってほしい。



29歳で独立。

43歳で借金1億。

61歳で心筋梗塞。

それでも今日、事業を続けている

60代経営者「だいふく」だ。



格好いい話はしない。

転んだ回数だけ語れることがある。

それがこのブログの全てだ。



独立・起業で苦しんでいる方、

将来の収入に不安を感じている方へ。



一人で抱え込まないでください。

転んだ先輩がここにいます。



──────



👤 まずここから



【プロフィール】

俺がこのブログを始めた理由。

借金1億、心筋梗塞を経た60代が、今思うこと。

こちら



──────



📚 連載|転んだ男の履歴書



【第一話】

会社を辞めた翌日、俺は高速道路の警備をしていた。

こちら



【第二話】

仕事をもらって涙した。手形をもらってまた涙した。

こちら



(続きは順次更新中)



──────



💬 読者の声



無料電子書籍を受け取った読者様のご感想

こちら



──────



📩 公式LINE|ブログの一歩先の話



ブログには書けない、失敗の本音と教訓。

資金繰り・銀行対応・経営の本音話。

60代からでも使えるAIビジネスの実践情報。



登録特典(完全無料):



・電子書籍

「借金1億を背負った男が死ぬほど後悔した

独立・起業の5つの失敗」



・毎月1本の特別コンテンツ



・アンケート回答者には

「銀行に見放された日、俺がやった7つの行動」



まずは気軽に登録してみてください。



👉 登録はこちら(完全無料)

こちら



──────



だいふく





第二話


仕事をもらって泣いた。

手形を見て、また泣いた。


29歳の俺が、経営の厳しさを初めて知った日のこと。







留守番電話が、待っていた


7日間の高速道路警備バイトを終えて、くたくたで家に帰ると、固定電話に留守番電話が入っていた。


独立前にお世話になっていた設計事務所、建設会社、そして建築中の特別養護老人施設のオーナー。それぞれから、一件ずつ。




「仕事を用意しているから、すぐに来い。」




携帯電話もない時代だ。わざわざ自宅まで電話をくれた。その事実だけで、涙が出た。








専門外の仕事を、わざわざ回してくれた


建設会社からもらった仕事は、建具工事だった。本来、俺の専門ではない。


それでも「あいつに回してやろう」と思ってくれた。その気持ちが、胸に痛いほど響いた。恥ずかしいくらい大粒の涙が出た。


独立してすぐにもらった、最初の仕事。この時の俺は、まだ何も知らなかった。経営者としての、あまりにも無防備な第一歩だった。







手形を見て、今度は冷たい涙が出た



仕事を終えて、請求書を出した。



支払いは「手形」だった。しかも短くて90日、長ければ120日先の決済だ。



手形とは、簡単に言えば「後払いの約束手形」だ。仕事はした。でも、お金が入ってくるのは3〜4ヶ月後になる。



サラリーマン時代、「集金さえできればいいだろ」と不満を漏らしていた俺が、いざ自分で経営してみると(実務は妻がやってくれていたが)、手形の恐ろしさを初めて実感した。



銀行との取引実績もまだない。だから手形を現金化すること(割引)もできない。こめかみに冷や汗が流れた。



仕事をもらって大粒の涙を流し、集金して冷や汗と冷たい涙を流した。








「経営って、すごく厳しいのかもしれない」



サラリーマン時代には見えていなかった景色が、独り立ちした途端にぼんやりと見え始めた。




売上と入金は、違う。




仕事をしても、すぐにお金が入るわけではない。給料が遅れたことなど一度もなかったサラリーマン時代とは、まったく別の世界だった。



29歳の俺が初めてそう感じた瞬間だった。でも、この経験があったから、その後に訪れる数々の苦労にも、何とか耐えられたのだと思う。






知らないことは、怖い。

でも、知らなかったからこそ、飛び込めたこともある。




あの時の涙の意味が、今ならわかる。




あれが、経営者としての始まりだった。






フォローしていただくと更新のお知らせが届きます。

引き続き、よろしくお願いします。



だいふく