コペルニクス的転換が起きたと感じている。
手段と目的の逆転だ。これまでは「お金を稼ぐこと」が目的、いやそう考えなければならないとどこかで躾けられていたように感じる。
しかし、今本当にやりたいことはそこではない。
会社を作り、人(従業員・顧客)が集まり、彼らにものを教え、私も色々教えられ、お互いが新たな発見をしながら進んでいく。価値を与え、価値をもらい、新たな価値を作り上げていく。なんとも言えない快適さをここに感じている。
お金はこれをやってきた結果に過ぎない。お金を目的にしていて、あまり幸せを感じられたことはない。しかし、会員に喜ばれたとき、彼らが変わったとき、従業員が成長したとき、自分が新たな発見をしたとき―こんな時は確かな幸せを噛みしめることができている。
もちろん、お金は必要だ。これをしっかりしなくてはもたないことはここまででもよく理解できた。だが、それは価値を作っていくための手段でしかない。これが目的になると、途端に世界はつまらなくなる。
大谷翔平選手も、お金のことだけを考えたらとっくに頑張る必要などなくなっているはずだ。それでも野球に対する探求をやめない。それは、目的が野球を探求することそのものにあるからだ。
自分が探求したいものは何か。それは、物事の本質を理解し、それを役立つ形で伝え、それに賛同する人たちが集まる「場」をつくることである。これが自分にとっての会社経営であると感じる。
昔からなぜか「先生」と呼ばれることが多い。これは生来備わった性質かもしれない。思えば自分の周りも、特に父方は先生ばかりだ。
「先生」という言葉には「学徳の優れた人」という意味があるようだ。これはまさに自分が目指すところであるように感じる。学だけでは行き着くところは数字かもしれない。しかし、徳があるということは人を幸せにするということではないか。思えば、父方は寺関係でもある。
学をつけ、徳を積め―人に与えることこそが、真の幸せである。