自分は何者なのか。この問題に答えを出さないと、自信を持って事業や人生を進めていくのが難しいと感じる。

経営者 vs 投資家

自分は経営者なのか、投資家なのか。

もともとどっちがスタート地点だったかと言えば、間違いなく経営者だ。

投資はあくまで手段、しかも好きなのは企業分析だ。

 

経営者の資質とは、適切な資源配分を行うこと。

人をうまく動かす、すなわち人の心をコントロールすることだ。

顧客にしても、結局は心で動いている。

 

一方で、投資家の資質は、人の心を捨てて、数字に徹することだ。

まさにロジカルシンキングである。

これをするには、一人で徹底的に考え抜く事が必要だ。

 

投資で成功するには、人の裏を行くのが有効だ。

割安株投資はまさにそうで、多くの人から見捨てられているからこそ、大きな成果が得られる。

しかしながら、それに徹していて、果たして人がついてくるだろうか?

 

おそらく、コロナ・ショック後の20年、21年、22年は経営としてしんどかっただろう。

周りが上がる中で、全く上がらないのだから。

これに確信を持って耐えられるなら良いが、そこまでの精神力を持つ自信はない。

自分で言うのも何だが、優しすぎる。

 

自分が持つ能力の一つは「最適解を見つけること」だと思っている。

すなわち、多くの個人投資家=一般人にとってできる投資は何か。

そして、それを使って人を集めることができるか。

 

普通の人は、株を買うことは難しくないが、売るのは難しい。

実際にそんな時間もなかなかない。

だったら、もはや「売らない」のが最適解になってくる。

 

要は、ゴリゴリの投資家を育てたいのか、それとも「普通の豊かな人」を作りたいかだ。

その意味では断然後者である。

経営として考えても、現実的についてくるのは一般的な感覚だ。

 

一般的な感覚でうまく投資をやるにはどうしたら良いか。

それに最も成功しているのがバフェットだろう。

「良い銘柄」を「適切なタイミング」で買い、持ち続ける。

自分が信頼した企業を買うわけだから、持ち続けるのに苦はない。

むしろ、持てば持つほと楽しくなる、コレクターの感覚だ。

割安株 vs 成長株(素晴らしい株)

投資としての成功のしやすさで言ったらどうだろう。

それはおそらく「割安株」だろうなと思う。

ボロボロになっている銘柄ほど美味しい。

 

しかし、それを多くの人に勧めるのは矛盾であろう。

多くの人が受け入れられないからこそ安いのであって、それを売るのはガラクタ市をやるようなものだ。

単にガラクタ市なら売ってその場で終わりだが、投資ではその後のメンテナンスまで請け負わなければならない。

それは現実的ではないだろう。

 

しかも、もし株価が上がったとして、売るタイミングも選ばなければならない。

うまく売れなかったら、結局は元の木阿弥である。

それに対し、素晴らしい企業なら放っておけば良いのだ。

 

あの様々な投資手法で成功したピーター・リンチでさえ、個人投資家は「素晴らしい株」を買えと言っている。

それが「対個人投資家」ということを考えたときの答えなのだろう。

 

もし機関投資家向けにファンドをやるなら、割安に徹底すれば良い。

その特性を理解してくれるからだ。

しかし、現実問題として個人にそれをやるのは厳しい。

 

だから僕は、仮に投資として難しかったとしても、「素晴らしい企業」を奬めることにする。

これが「経営者」としての答えだ。

ただし、投資と経営は表裏一体である。

多難ではあるが、最後は「投資家」としても、それが適切であったことを証明したい。