経営をしていると「サイコパスになれたら良いのに」と思う瞬間がある。
事業を拡大させようとすると、様々な雑音が入ってくる。批判は称賛の裏返しだとは言うものの、やはり人間だから気になってしまう。まして、実際にお金を払ってもらった人からの批判は非常に応える。
本当のサイコパスがどんなものか知らないが、そんなことは一先気にならずに、むしろなぎ倒すくらいの勢いで前進させることが、経営者としては理想なのだろう。
しかし、自分は経営者であると同時に人間だ。そう簡単に見捨てて前に進めるものではない。かといって、ここで意気消沈してしまっては、それでストーリーが終わってしまう。
このような時に「普通の人間」としてできることは何だろうか。
まずはファクトを知ることである。あらゆるものに批判はつきものである。10人のうち、1人は何をやっても批判してくる。一方で、2は非常に肯定的だ。そして7はそのどちらでもない。すなわち、少なくとも批判をする人の2倍は肯定的な人がいるのだ。そして、肯定的な人はわざわざ表には出て来ない。
次に、因果を理解することだ。批判は荒唐無稽なものもあるにせよ、何かしらの原因がある。自分が意図したものではないにせよ、そこは直さなければならない。今自分が感じている原因を探るなら、とにかく方向性がふらふらしてしまったことだ。それは投資についても、経営についても言える。
仏教的には、すべてのものに仏性がある。批判も宝と受け止めて、それを改善するしかない。むしろ、それこそが「徳を積む」ということにほかならないのではないだろうか。
因果を素直に受け取り、後は解決に向かうのみだ。これまでの問題点は、要するに方向性が定まっていなかったこと。そして、必要な努力、すなわち投資を改善させる努力を怠っていたことだ。マーケティングに時間を割かなければならなかったというのは言い訳にもならない。
ひとりでやっていたときならば、一旦マーケティングの手を止めて、ポートフォリオの改善に全力を尽くすべきだったろう。実際に、それに集中できていたときは投資の調子も良かったのだ。
ただし、昔を懐かしんでも仕方がない。今は従業員を抱え、マーケティングなくしては従業員の給料を払うことができなくなってしまう。
では、何のために従業員を雇ったのか。それは、より多くの人に幸せを与えるためである。ひとりだとできることには限界がある。しかし、サポートしてくれる人がいれば、その限界を越えることができる。遠くへ行くには、みんなでいくしかない。
そこで経営者として自分にできることは、バランスを取ることではないだろうか。マーケティングに偏りすぎると、また同じ失敗をしてしまう。一方で、内部に偏りすぎると、将来性がなくなってしまう。このバランスを取りながら、一つずつ問題を解決していくしかない。
人を動かす上で必要なのは、方向性を示すことだ。投資の方は、とにかく「個人投資家にできる長期投資とは何か」を突き詰めて考える。そして、マーケティングでは「長期投資を勉強したい人のプラットフォームになる」ことだ。
もはやすべて自分でやる必要はない、いや、そうすべきではない。経営者としてバランスを取りながら、「正しい方向へ向かっていく」。それが自分にとって「徳を積む」ということになろう。