36歳、干支が3周した今改めて自分の人生を振り返ってみる。
12歳のとき、自分の将来がどうなるか想像もしていなかった。頭は良かったが小学校のことだし、明確にやりたいこともなかった。しいて言えば、お金を稼げる職業につきたいと思ったくらい。その意味で、「社長」を絞り出したのはやはりなにかの縁かもしれない。ちなみに、この時期人生で一番モテて、調子に乗っていた。
24歳のとき、正直人生に迷っていた。仕事はあまりやり甲斐を感じてなく、ただ忙しさだけが降り掛かってきた。転職活動もしてみたが、自分の実力の無さに愕然とした。プライベートでは合コンと出会い系に明け暮れていた。人生で最も荒んでいたじきかもしれない。それでも、会社の人と飲んだりゴルフに行ったりするのは、ある意味独身を謳歌していたのかもしれない。
36歳になる今、スペック上の人生は順風満帆そのものだ。無事社長になり、ついに社員を雇い入れるまでになった。結婚して子供が3人。子供と遊ぶ時間も確保できていて、これほど素晴らしいことはない。今日も夕食を作ったが、我ながらなかなかうまくなったと思う。
一方で、順調だからこそ物足りなさを感じる部分がある。少し前まで、料金の実質値下げでこれからどうなることかと戦々恐々としていたが、だからこそ奮起して顧客獲得に奮起した場面があった。幸いそれが功を奏し、ほっと胸をなでおろしている。しかし、同時に物足りなさを感じ、一方で仕事に邁進するというよりも脇道に逸れたい気分になっている。
自分のモチベーションを分解すると、最も効果的なのは「危機感」だ。実際にヤバくなるというより、「このまま行くとヤバい」と感じたとき、本領を発揮する。大学受験もヤバさに気づいたのが1年前だった。陸上も、予選会のトイレットペーパー係に自分の惨めさを感じて奮起した。だから結果としてはうまくいくことが多いのだろう。
これはこれで悪くないのだが、だからこそ危機を脱したときのモチベーションの低下が問題だ。大学も入ってしまったら途端に勉強しなくなったし、今だって無理に頑張ろうという気力が起きない。こんな性格だから、なかなか突き抜けられないのだろう。
突き抜けるにはどしたら良いか。いや、突き抜ける必要があるのか。このリズムを繰り返しても、まあなんとなくはやっていけるのだろう。最低限の仕事をし、合格点を取ってそこそこ裕福な生活を送る。それはそれで満足だが、ワクワク感があるかと言えばそこまででもない。
一方で、めちゃくちゃ金持ちになりたいかと言えば、そこにはモチベーションが向かわないことも確認済みである。
自分は何だったら夢中になれるだろうか。一つ言えるのは、自分のためではなく、人のためだったらより頑張れるということだ。家庭のことも「妻のため」と思って頑張れたし、今は「顧客のため」を思ってサービスを充実させようとしてる。あるいは「従業員のため」として、業績の改善に努めているところだ。
物足りなく感じているのは、誰かのために頑張ったとして、自分に報いがあるか確信が持てていないからだろう。いや、そもそも報いなんて考えるべきではないのだが、そこは人間らしさというべきか。目に見える人参は普通の人間にとっては必要である。
こうなってくると、もはや修行・禅問答の域である。その意味では、今こそ仏門を学ぶときなのかもしれない。実は昔から興味がある分野でもある。父が寺の坊主だったことも、なにかの縁かもしれない。