国税庁長官や財務次官が立て続けに辞任する騒ぎになった。かたや忖度、かたやセクハラだ。
いずれも東大卒で、官僚のトップにまで上り詰めた人たちだ。自分が足元にも及ばない、エリート中のエリートと言えるだろう。とはいえ同じ大学を卒業した者として、思うところもある。
忖度は上司である首相に気を使った結果だ。これは組織人として気を使いすぎた結果だと言える。理財局長と言う限りなくトップに近い立場の人でもなお上司にゴマをすらなければならない。
セクハラは人間的に論外だ。年代的に考えが甘かった部分もあるだろう。また、件の記者を含め、周りがちやほやするのに勘違いしたのかもしれない。偉くなるとそう言うことが生じやすい。
二人は財務省の入省同期だ。同期の中で出世争いはあっただろう。
一人は偉くなるためゴマをすって失脚した。一人は偉くなったけど、思い上がって失脚した。
こう考えると、偉くなるって何だろうと思う。自分や他人に嘘をつき、法律を破ってまで偉くなってどうするのか。そして、偉くなっても周りに迷惑をかけているとは、何のために偉くなるのか。
本当に偉い人とは、自分にも他人にも嘘をつかず、その影響力で多くの人を幸せにすることではないか。それができない単なる組織のトップと言う「お偉いさん」になっても仕方がないことがよくわかる。
自分に嘘をつき、周りに迷惑をかけてまで偉くなるくらいなら、中小企業のオヤジのままで十分だ。ここだったら、自分の好きなように生きていけるし、家族や顧客を幸せにすることができる。やるべきことは、その輪をどこまで広げられるかどうかであって、必要以上に金儲けしたり、社会的地位を得ることではない。
金銭欲や出世欲は尽きることはない。しかし、本当の幸せはこれらを気に留めずにすむ人生を送ることである。