平日のクリスマスは諦める
確か昼間バブなんたら病院にて、
聖歌隊歌うはず、今年は行けない。
クリスマスイブも行けない。深夜礼拝も行けない。
日曜日は総員礼拝それが関の山。
サラリーマンなんかしてると、
平日の教会の行事全てがパー。
どっちが正しいのかとたまに思う。
平日の新聞ほとんど役に立ってないし、
役所や病院行くのも遅刻扱い。
ごく当たり前のように過ごしてきてあんな教会みたいな
会社のシステムとは一線を画するみたいな
別のシステムに組み込まれようとする時
最後には会社の論理が勝利する。
これが前どこかのぐるっぽで書いたみたいな
日本じゃキリスト教がはやらないもう一つの理由。
聖歌隊歌うはず、今年は行けない。
クリスマスイブも行けない。深夜礼拝も行けない。
日曜日は総員礼拝それが関の山。
サラリーマンなんかしてると、
平日の教会の行事全てがパー。
どっちが正しいのかとたまに思う。
平日の新聞ほとんど役に立ってないし、
役所や病院行くのも遅刻扱い。
ごく当たり前のように過ごしてきてあんな教会みたいな
会社のシステムとは一線を画するみたいな
別のシステムに組み込まれようとする時
最後には会社の論理が勝利する。
これが前どこかのぐるっぽで書いたみたいな
日本じゃキリスト教がはやらないもう一つの理由。
人を作るには
別のブログに似たような事書いたのだが、
人間のようなロボットを作ろうと思ったら、
あらかじめ人がどう言った反応をするかの、膨大なフローチャートみたいなのを作って
それをいちいちプログラミングして記憶させておくと言う
やり方じゃ、
恐らくは実現はしない。
例えその条件の数が一兆を超えていたとして、
それ全てを組み込めたとして。
そうじゃなくてロボットは初めすっからかんにしておき、
その与えられた体から受ける経験によって、
人の場合と同じように教育を行って、
自分から知識を吸収出来るようなAIを作らないといけない。
そう言ったやり方でなきゃ、人と同じロボットは生まれないだろう。
あと人間らしいロボットを作る為のひながた、
つまりこれが人の代表形みたいな、見本になるような
人の原型みたいなものはあるだろうか。
教育を与えるにしろ、何を手本として教えればいいだろう。
答え言ってしまうとそんなもん、ない。
人が人である為の、条件なんてのは特にない。
だからどんな風にロボットだのアンドロイドだのを作ったとしても
それがどれだけ人間に近いか
それは誰にも判断出来かねる。
ただわずかな可能性としてはたぶんこうだ。
そのロボットやらアンドロイドやらに、
人間になりたいと思う感情が芽生えたとしたなら、
そいつはたぶん人の子に到達してる。
あの「日常」のなのちゃんみたいな。
人間のようなロボットを作ろうと思ったら、
あらかじめ人がどう言った反応をするかの、膨大なフローチャートみたいなのを作って
それをいちいちプログラミングして記憶させておくと言う
やり方じゃ、
恐らくは実現はしない。
例えその条件の数が一兆を超えていたとして、
それ全てを組み込めたとして。
そうじゃなくてロボットは初めすっからかんにしておき、
その与えられた体から受ける経験によって、
人の場合と同じように教育を行って、
自分から知識を吸収出来るようなAIを作らないといけない。
そう言ったやり方でなきゃ、人と同じロボットは生まれないだろう。
あと人間らしいロボットを作る為のひながた、
つまりこれが人の代表形みたいな、見本になるような
人の原型みたいなものはあるだろうか。
教育を与えるにしろ、何を手本として教えればいいだろう。
答え言ってしまうとそんなもん、ない。
人が人である為の、条件なんてのは特にない。
だからどんな風にロボットだのアンドロイドだのを作ったとしても
それがどれだけ人間に近いか
それは誰にも判断出来かねる。
ただわずかな可能性としてはたぶんこうだ。
そのロボットやらアンドロイドやらに、
人間になりたいと思う感情が芽生えたとしたなら、
そいつはたぶん人の子に到達してる。
あの「日常」のなのちゃんみたいな。
そうか悟りかそんなのもあったな
せいぜい修行でも何でもして、悟りを得て下さい。
修行に一生を棒に振るもよし、
既存の宗教の教義に身を捧げるのもよし。
別にとがめません、ご自由に。
こんないい加減な世界について、知識を深めてどうする。
自分自身をこんな世界に無理矢理適合させてどうする。
ただの気まぐれで生まれたかも知れない世界の中に、
意味や価値を見い出さんとしてどうする。
明らかに幻想に過ぎないんじゃないのかと
たまに思う。
だから生きてる間はせいぜい神にたぶらかされて
生きようと思う。
この世界があたかも劇場の舞台であるかのように、
今はただ脚本通りに踊っといてやろうじゃないか。
そのうち、舞台裏のこと何もかも分かってしまい、
この世界がいきおいつまらなくなるまで。
どうせいつかはここを去る身、
今のうちにさんざん見ておこうか。
案外そう言ってたら
どこにも行かずにここにとどまってたりして。
その節はよろしく、
まだ出かける予定はなくて。
修行に一生を棒に振るもよし、
既存の宗教の教義に身を捧げるのもよし。
別にとがめません、ご自由に。
こんないい加減な世界について、知識を深めてどうする。
自分自身をこんな世界に無理矢理適合させてどうする。
ただの気まぐれで生まれたかも知れない世界の中に、
意味や価値を見い出さんとしてどうする。
明らかに幻想に過ぎないんじゃないのかと
たまに思う。
だから生きてる間はせいぜい神にたぶらかされて
生きようと思う。
この世界があたかも劇場の舞台であるかのように、
今はただ脚本通りに踊っといてやろうじゃないか。
そのうち、舞台裏のこと何もかも分かってしまい、
この世界がいきおいつまらなくなるまで。
どうせいつかはここを去る身、
今のうちにさんざん見ておこうか。
案外そう言ってたら
どこにも行かずにここにとどまってたりして。
その節はよろしく、
まだ出かける予定はなくて。
判断して下さいまし
旧約聖書なんかを読んでいると
やはり主の天使とか言うのが出て来るのが、
よく神そのものとごっちゃに扱われていて、
直接神に会えば死んでしまうと言う
古代ユダヤ人の思い込みにより
産み出された産物のような気がする。
そのうちギリシャ・ローマ神話なんかに出て来る、ニケの像などから
人の背中に羽の生えたような、
天使のイメージが生まれたんだな。
だから最初は天使には羽もなかったに違いない。
悪魔のイメージもかなり経ってから生まれたように聞く。
みんな作り話で、人に都合の良いようにでっち上げられているみたいに見える。
スピリチュアルの本に出て来る様々な名前の天使なんかを見てると、
何だか不憫な気がしてくる。
ああしたのが本物の天使なんだなきっと。
だからあんな天使のイメージ、外見を持っただけの
訳の分からない物は、
ニセモノ天使なんだ。
そいつはいっこも人の為にならないし、
かえって周りに迷惑ばかりかけている。
もうちょっと本物の、人の役に立つ天使について
勉強したらどうなんだ、えっ
ニセモノの誰かさん。
おっと
やはり主の天使とか言うのが出て来るのが、
よく神そのものとごっちゃに扱われていて、
直接神に会えば死んでしまうと言う
古代ユダヤ人の思い込みにより
産み出された産物のような気がする。
そのうちギリシャ・ローマ神話なんかに出て来る、ニケの像などから
人の背中に羽の生えたような、
天使のイメージが生まれたんだな。
だから最初は天使には羽もなかったに違いない。
悪魔のイメージもかなり経ってから生まれたように聞く。
みんな作り話で、人に都合の良いようにでっち上げられているみたいに見える。
スピリチュアルの本に出て来る様々な名前の天使なんかを見てると、
何だか不憫な気がしてくる。
ああしたのが本物の天使なんだなきっと。
だからあんな天使のイメージ、外見を持っただけの
訳の分からない物は、
ニセモノ天使なんだ。
そいつはいっこも人の為にならないし、
かえって周りに迷惑ばかりかけている。
もうちょっと本物の、人の役に立つ天使について
勉強したらどうなんだ、えっ
ニセモノの誰かさん。
おっと
