それぞれの救いの手だて | THOUSAND WINDS

それぞれの救いの手だて

キリスト教がそれでなくなったのが不思議でならない。
ただいま哲学に執心中なわけだが。
人によればそれがツイッターだったりするわけだ。
何かしら神様から救いの手だてがあてがわれているみたいな気がする。
自分にしか出来ない事とか人と分かち合える趣味とか。
ただこちらの私から見ると哲学はどうも孤独を強いられるみたいで寂しい。
一応クリスチャンみたいだからと、キリスト教どっぷりな記事がよお書かれへん。
てれみたいなものがあるのか。
何かそういうのは違うみたいに思っているらしい。
私てきな信仰の仕方が実はカトリック的なのだと言う事に最近気づいた。
だからかたまにプロテスタントの教会に訪れても何か救われない気がする。
いや別にプロテスタント自体をばかにしてるわけではない。ちなみにうちの教会も分類上はプロテスタントなので。
最近そんな疑問もあってか、信仰からは遠ざかってたわけだ。
しかし昨日少し聖書をかじり読みしてたら、
何か違う感触をえた気がした。
いきなりそれでまた宗教バカに戻るわけではないが
きっかけにはなるだろう