歎異抄 | THOUSAND WINDS

歎異抄

歎異抄の関西弁版と言うわけ分からん本買って来た。
少し読むと分かるのは、これがあまりにも
キリスト教のパウロ文書に似てると言う事。
ただ信仰だけ、行為によって救われるのではない。
なむあみだぶつをただ唱えるだけの信仰と、
イエスキリストが神により復活された事を信じるならあなたは救われると言う信仰との共通点は多い。
なぜこんな場所も時代も離れた所に、
似た信仰が現れたのか。
カトリックの宣教師が日本に来た時にこの浄土真宗の事を知って驚いたらしい。
一体どうやってこんなプロテスタント的な宗教が
かの地に誕生したのか。
つまり
突き詰めていけば自然とそこに流れ着く
宗教の終着点のような気がしている。
カトリックがまだ何か自らを聖人のように清く正しく美しくしようと
努力を重ねようとする信仰に見えるのに、
永久に発展途上なままのプロテスタントが、
私には清く映るのはこうした余計な努力を行わなくなったからに思われる。
人がこねくり回した、難解な神学なんかが果たして人を救うのか。
全ての人を救うような宗教は、
もっと単純なのではないのか。
救いは自力では解決しない
全て他人任せ、神の
みこころのままに・・・