どうせ理解者などいない | THOUSAND WINDS

どうせ理解者などいない

キリスト教ぐるっぽの一部のものについては完全に仲間内だけのものにこり固まって見えて
確かに私もその中に混じってはいると言わざるを得ない。
どうせそんな中身の深い、無関係な人から見ればなぜか不愉快に捕らえられるらしい事が、
一部の人にとってはかなり熱心に関わってる事となっているのが不思議で、
それが単に信仰のあるなしに関わるのかも
最近疑問に思えて来た。
カトリックはどうなのか知らないが、
プロテスタントはよくも悪くも閉鎖的で、
教会の中の信者同士の交わりみたいなのがとても重視され、
同じ教派であろうと違う教会なら少し疎遠になり、
違う教派なら未信者の人を扱うのと変わらない事も見かけた。
あれが正当化されている。教会一つずつが小さな王国みたいになって、
世間の教会知らずな者からは、未知なる世界と化している。
お寺とか新興宗教にしろ似たようなもんだろうが、
ことキリスト教は何か周りからあまりいい印象を持ってもらえない。
それが何なのかと考えたりしたがよく分からず、
ただ言えるのは日本の会社と言う世界と、教会と言う世界があまりに対立しうる事が多いから、働き盛りな男性がほとんど教会へ集まれない。
定年迎えたような男性がかなり比重が高い。
女性の場合まだ時間があるからまた子供を教会の幼稚園とかに行かすついでに、
教会と縁が持てる事が多い。
この人口バランスの片寄りは間違いなく、
日本の社会にキリスト教がなじまない理由となっているはず。
ただその事はあまり理解されないし、さほども重要視はされない。