今一度黙想について
クリシュナムルティいわく、神は既存のいかなる宗教の儀式、しきたり、信条によって
見つけ出せるものではない。
むしろ自分をむなしくして、自我を消失させて、瞑想の中で神秘の何かに出会いうるみたいな。
たびたびそれあてにしてではないが、瞑想ならぬ黙想ならよくやるわけだが、
大抵は番組の間の時間のTVよろしく、コマーシャルみたいに
いくらでもいらん雑念のイメージが思い浮かんでくる。
それらを一切無視して、そのまま黙想続けると、確かに意識は鎮静化して、何も見えない状態にはなる。
ただその状態が私にしたら、エレベータが到着しました、
ドアが開きました、さて中に入ろうとしたら、
そこには虚空の暗黒が広がっていて、中に踏み入ると危険な感じがしてしまう。
顕在意識を静めて、潜在意識を活性化させた時に、本当に神に出会う事は可能なのか。
むしろ格好の悪霊らによる取りつきの機会のように思える。
いたこなんかの招霊みたいなのも、かなり危険な試みのように見える。
我々はむしろこの表面上の意識でもって、理性を保っているけれども、
潜在意識下にあるドロドロしたものを浮上させた場合、
どんな影響があるか知れない。
だから思う。生半可な感じで素人的に黙想すべきではないと。
かえって宗教的行為が、悪霊に取りつく機会を与えてはいまいかと。
見つけ出せるものではない。
むしろ自分をむなしくして、自我を消失させて、瞑想の中で神秘の何かに出会いうるみたいな。
たびたびそれあてにしてではないが、瞑想ならぬ黙想ならよくやるわけだが、
大抵は番組の間の時間のTVよろしく、コマーシャルみたいに
いくらでもいらん雑念のイメージが思い浮かんでくる。
それらを一切無視して、そのまま黙想続けると、確かに意識は鎮静化して、何も見えない状態にはなる。
ただその状態が私にしたら、エレベータが到着しました、
ドアが開きました、さて中に入ろうとしたら、
そこには虚空の暗黒が広がっていて、中に踏み入ると危険な感じがしてしまう。
顕在意識を静めて、潜在意識を活性化させた時に、本当に神に出会う事は可能なのか。
むしろ格好の悪霊らによる取りつきの機会のように思える。
いたこなんかの招霊みたいなのも、かなり危険な試みのように見える。
我々はむしろこの表面上の意識でもって、理性を保っているけれども、
潜在意識下にあるドロドロしたものを浮上させた場合、
どんな影響があるか知れない。
だから思う。生半可な感じで素人的に黙想すべきではないと。
かえって宗教的行為が、悪霊に取りつく機会を与えてはいまいかと。