例えモノクロであったとしても | THOUSAND WINDS

例えモノクロであったとしても

カトリックのぐるっぽに飛び入り参加している。
私は聖公会だから、本来関わり合うのもどうかと、事情とかよく分からないものだから、
その中のスレッドで好きな聖書とかだとやはり彼らなら
ヴルガタのラテン語聖書使ってたりするのか。
説によればギリシャ語聖書が新約聖書では「オリジナルに近い」はずなんだが、
もはや我々は完全なオリジナルな聖書は手に入らない。
途中でさんざん人の手によって改ざんされて来たいきさつがあるから。
だからあのヴルガタすら、どこまでオリジナルに近いか知れない。
ある意味オリジナルすら、正しさを保証出来るものではない。
福音派あたりはどうも最初は完全な神の言葉が載せられた聖書があったように言うが、
そんなものはない。
だからそれぞれの教派で、カノンと見なされたものが、
標準テキストと見なして差し支えないだろう。
うちらはどれにあたるだろうかと思っていると、
やはり英国国教会だから、英語版聖書に違いない。
誰かが言ってた、聖書はギリシャ語以外だと、モノクロ写真みたいに、
実際のものはぼやけて見えてしまうとか。
でも分からない言語ありがたがっても、私がギリシャ語聖書を自分で訳しながら読んでも
チンプンカンプンに違いない。
たとえモノクロでも自分の手に負えるものでないと。
あと田川さんあたりが言ってたんだが、
日本語聖書は直接ギリシャ語版から訳されているから、
アメリカあたりで出回ってる
英語版聖書よりはなんぼか正確だと。
日本のこんな浅い歴史で使われた聖書の功績がいかほどか知らないが、
KJVつまりキングジェームス版聖書、ルターのドイツ語版と合わせて
これほどまでにプロテスタント教会に影響を与えたものもないので、
私ならそれの新訳のNKJV、新欽定訳をカノンとして使いたいと思う