小さくされ過ぎた者たちへ | THOUSAND WINDS

小さくされ過ぎた者たちへ

洗礼の事で前司祭と決裂し、しばらく信仰的な放蕩中に、
クエーカーに出会った。
実際には二回位しか集会へは参加出来なかった。
メールで知り合った人から無期限でクエーカーの本を借りた。
今となっては別教派の者となってしまったが、
一時期はクエーカー的な信仰にはまりこんだらしい。
未だに自由祈祷は苦手でも、しばしば黙想をしている。
借りた本は全部読み切れなかった。
クエーカーと言う団体が、あまりに小さ過ぎるものだっただけに、
残念ながら続ける事は出来ずにいた。
あちこち教会を回ったものの、
また元の一時は仲違いした教会へ戻ってしまった事は、
結果的に良かったのかどうか。
信仰の形態としては私の場合、期間が長い分カトリックの要素が強い。
話を聞いたりこちらから話しても、プロテスタントの人とよりは、
カトリックよりな人との方が意見が合うみたいな感じ。
しかし何割かはこのクエーカー的な、決められた礼拝の形式を持たない信仰も取り込まれている。
いくつかプロテスタント教会を回ったものの、根付かなかったのは、
カトリックからの影響よりむしろ
クエーカーからの影響ではないかと思う。