文語体が苦手なの
ルーキアの載ってる詩集
あれも半分は文語の詩
よお分からない
何かはぐらかされてるみたいな
気になってしょうがない
神社で唱えられる祝詞も
文語体だし
昔教会で唱えられていたのも
文語体だった
何か文語の聖書って
格調高く思える
でもそんな昔の言葉
今は使ってないのに
それ知らなくて生活出来るのに
なぜそんなありがたみを感じるのだろう
同じ事を言うにしても
文語で書いたものを読むと
妙にかしこまった
威厳あるものと感じてしまうのは
なぜなんだろう
詩なんて別に現代語のままでいいのに
ハイネの翻訳詩何かに文語訳のが混じってたりする
私は読みづらくてあまりハイネは好きくない
まだリルケが読みやすい
文語で錯覚させられるわけは分からない
そんな錯覚に魅せられる人もいる
生まれてもいない頃使われていた日本語
確かに興味がないと言えばない
たとえ錯覚であっても
時によっては
文語って
ありがたいもんだなと
思う時があって
日本語って
今さらながら
おかしい!
そこらへんが
好き
あれも半分は文語の詩
よお分からない
何かはぐらかされてるみたいな
気になってしょうがない
神社で唱えられる祝詞も
文語体だし
昔教会で唱えられていたのも
文語体だった
何か文語の聖書って
格調高く思える
でもそんな昔の言葉
今は使ってないのに
それ知らなくて生活出来るのに
なぜそんなありがたみを感じるのだろう
同じ事を言うにしても
文語で書いたものを読むと
妙にかしこまった
威厳あるものと感じてしまうのは
なぜなんだろう
詩なんて別に現代語のままでいいのに
ハイネの翻訳詩何かに文語訳のが混じってたりする
私は読みづらくてあまりハイネは好きくない
まだリルケが読みやすい
文語で錯覚させられるわけは分からない
そんな錯覚に魅せられる人もいる
生まれてもいない頃使われていた日本語
確かに興味がないと言えばない
たとえ錯覚であっても
時によっては
文語って
ありがたいもんだなと
思う時があって
日本語って
今さらながら
おかしい!
そこらへんが
好き