分かると言う事について
人が分かると考えるのは
それがこれまで自分が確信してきた概念、信条にぴったりと
合致して、ああやっぱりそうだったんだなと
裏付けが取れて良かったみたいな、
安堵から来る感覚ではないかと。
全く思いがけもしない、これまで保って来た知識に合致しない、
いくら現象としてそれは起こり、
方程式を何度いじくっても
そう考えざるを得ないような事は、
分かったりしない、分かろうとしない、分かりたがらない。
だから事前に理論を先に立てて、それに反す る実験結果が出たとしても、
その事実を信じられない。
どこか実験に間違いがあったんじゃないのか、
誤差の範囲内だと納得しようとする。
現実はこれでもかと人間の知能の限界へと逃げ去ってしまうのに、
我々はもう世界のあらゆる事が分かったみたいな気になっている。
これが果たして一億年たち、その頃まだゴキブリ並みに人類が生き残っていれば、
彼らはその一億年の年月の間に、
我々よりどれだけ賢くなって、
神に近づけてるだろうか。
馬鹿馬鹿しい話
それがこれまで自分が確信してきた概念、信条にぴったりと
合致して、ああやっぱりそうだったんだなと
裏付けが取れて良かったみたいな、
安堵から来る感覚ではないかと。
全く思いがけもしない、これまで保って来た知識に合致しない、
いくら現象としてそれは起こり、
方程式を何度いじくっても
そう考えざるを得ないような事は、
分かったりしない、分かろうとしない、分かりたがらない。
だから事前に理論を先に立てて、それに反す る実験結果が出たとしても、
その事実を信じられない。
どこか実験に間違いがあったんじゃないのか、
誤差の範囲内だと納得しようとする。
現実はこれでもかと人間の知能の限界へと逃げ去ってしまうのに、
我々はもう世界のあらゆる事が分かったみたいな気になっている。
これが果たして一億年たち、その頃まだゴキブリ並みに人類が生き残っていれば、
彼らはその一億年の年月の間に、
我々よりどれだけ賢くなって、
神に近づけてるだろうか。
馬鹿馬鹿しい話