なんみょうほうれんげきょう | THOUSAND WINDS

なんみょうほうれんげきょう

昔から分からないのは、なぜ仏教ではあんな怪しい漢文読みで、お経を唱えるのか。
まるで呪文でしかないが、やはりそうなのか。
サンスクリット文字、梵字とも呼ばれる、あれも一文字だけ書いたようなものが、
呪符として用いられたりする所が、ルーン文字に似ている。
ようするに何となく宗教っぽい、神秘的な何かを感じさせられるからと言う理由に他ならない。
あれを葬式の際に、現代語に翻訳されたお経を読まれたら、
ありがたみもへったくれもなくなってしまう。
しょせんは気分を味わうだけのものかも知れない。
グレゴリオ聖歌にしても確かにそれは心洗われるような気分にひたれるものだが、
それすらも結局はそれ聞く事で
宗教してるみたいな気持ちになれるからかも知れない。
そう思い出すと、礼拝の時の作法みたいなのも、ベルやチャイムを鳴らすのも
修道僧みたいな格好したりするのも
そうした宗教儀式に参加してる気分を味わいたいだけなんかも知れない。
そんなあらゆる宗教上のおまけを取り除いたら、
一体後には何が残るのだろうか。
ただめいめいが黙想して、
自分の内に神を見つけ出すしかなくなるのか。
私にはどうもそんなのがうさんくさく思う。