フェルマーの最終定理ってのもあったな
昨日テレビでやってた何だったか、数学の難問についてのドラマ、門外漢にしてみれば
何でああまで大騒ぎする事があるのかと言いたい。
手帳にはフェルマーの最終定理なるものがあった。
もう一度使い古したネタに違いないが、
昨日のやつと合わせて考えてみる。
近代に入ってから「神は死んだ」とニーチェに言わしめた程、
急速に科学が発展し、これまでのまじないみたいなものが
いくつも否定されていく中で
人は考えたらしい。
恐らくはニュートン物理学とかヘーゲル哲学とかで、
人間の理性の可能性について、最大限にそれを称え、活用すべきだと。
それで宗教上の神もその権威の一部を失われ、
神の知恵の一つみたいに、数学をあてがう事を考えたらしい。
確かに惑星の運行とか、分子のふるまい位まではそうした次々に発見される方程式などの
理論で説明がついたものだから、
人間は新たな「知恵の実」を獲得したかのように、はしゃいでいたらしい。
そこで科学のベースとなったのは、かつては宗教、やがて哲学となり、ついには数学が
それに置き換わった。
いつしか数学によって、神の用意したこの世界の謎を全て解明出来るとでも思ったらしい。
ゲーデルの不完全性定理、私はこの定理がおぼろげながらしか知らないが好き。
つまり数学にも限界がある事を指し示してしまった。
万能であるはずの神ですら不可能な命題を発見してしまった。
数学崇拝者にしてみれば、余計な事をと思ったに違いない。
そしてとどめはハイゼンベルクの
不確定性原理、量子力学の領域において、もはや原子以下の
大きさの素粒子はその位置を
計算によって正確に特定する事が不可能である事を示した。
これは数学の敗北なのか、それとも科学の祖としてではない、
学問の一分野としての再出発なのかは知らない。
ただ今通勤電車の中につき、正確な情報にて書き切れてない事をお詫び致します。
あくまでも個人的な所感と言う事で。
何でああまで大騒ぎする事があるのかと言いたい。
手帳にはフェルマーの最終定理なるものがあった。
もう一度使い古したネタに違いないが、
昨日のやつと合わせて考えてみる。
近代に入ってから「神は死んだ」とニーチェに言わしめた程、
急速に科学が発展し、これまでのまじないみたいなものが
いくつも否定されていく中で
人は考えたらしい。
恐らくはニュートン物理学とかヘーゲル哲学とかで、
人間の理性の可能性について、最大限にそれを称え、活用すべきだと。
それで宗教上の神もその権威の一部を失われ、
神の知恵の一つみたいに、数学をあてがう事を考えたらしい。
確かに惑星の運行とか、分子のふるまい位まではそうした次々に発見される方程式などの
理論で説明がついたものだから、
人間は新たな「知恵の実」を獲得したかのように、はしゃいでいたらしい。
そこで科学のベースとなったのは、かつては宗教、やがて哲学となり、ついには数学が
それに置き換わった。
いつしか数学によって、神の用意したこの世界の謎を全て解明出来るとでも思ったらしい。
ゲーデルの不完全性定理、私はこの定理がおぼろげながらしか知らないが好き。
つまり数学にも限界がある事を指し示してしまった。
万能であるはずの神ですら不可能な命題を発見してしまった。
数学崇拝者にしてみれば、余計な事をと思ったに違いない。
そしてとどめはハイゼンベルクの
不確定性原理、量子力学の領域において、もはや原子以下の
大きさの素粒子はその位置を
計算によって正確に特定する事が不可能である事を示した。
これは数学の敗北なのか、それとも科学の祖としてではない、
学問の一分野としての再出発なのかは知らない。
ただ今通勤電車の中につき、正確な情報にて書き切れてない事をお詫び致します。
あくまでも個人的な所感と言う事で。