教会なんて、ない | THOUSAND WINDS

教会なんて、ない

きらびやかなカトリック風教会も、どこかの会議室を間借りしたようなプロテスタント教会も、
とこかのご家庭にお邪魔して行われる、クェーカーの教会?も、
全ては幻覚に過ぎない。
放置された公園のすみのトイレだろうと、この
満員電車の中だろうと、
サマリア人にとってのゲルジム山だろうと、
自宅の布団の中だろうと、
祈る場所は特定されない。
いくらきらびやかな由緒ある教会の中であれ、
そこに祈りの声が無ければ、
聖霊の降臨が無ければ、
霊的な礼拝が成されなければ、
そこはただの文化遺産か観光名所に過ぎない。
毎度同じようなスタイルの礼拝を繰り返し、主を待っていた所で、
形骸化した礼拝の中に恐らく主はおられない。
弟子たちの真剣な祈りの輪の中に
初めて復活された主が来られたのだから。
ご近所の教会さんもそんなルーチンワークに陥っていないか。
せめて目覚めの悪い神様を叩き起こす意味で、人一倍でかい声張り上げて、
賛美の歌を歌っている。
何かが変われ、と念じながら。