聖書についてのざれごと
新約聖書には4つの福音書が含まれるが、昔それを一つにまとめようとした、確かタ・ローギアとか言う文献があったようななかったような。
はなっからあの内容じゃ、一本化は不可能だったろう。
まあ多少情報がはしょられたとして、何とか一本化したければ、
普通はマルコによる福音書あたりを骨格にして、そこに共観福音書の独自箇所を盛り付けて行くやり方になろうかと思うのだが、
どうしてもヨハネによる福音書だけあちこちはみ出してしまう。
このヨハネによる福音書の扱いが、人によって結構まっ二つに分かれる。
つまりこれを限りなく福音的に、事実として捉えるのか、
明らかな後世のフィクションとして、ある種たとえ話として捉えるのかによって。
私は図書館で借りて来て読んだ、分厚い本、現ローマ教皇のラッツィンガー「さん」の著書、
この人によればヨハネによる福音書の中身は多分に事実だとされている。
カトリックの一番えらい人がそう言うならきっとそうなんだろう。
聖書学者の大方はこれはリベラル的に解釈すべき福音書だと結論づけていようと。
どっちでもいい。
私にすればそんなの別にどうだっていい。
空想話だって、いいじゃないか。
なぜ事実にばかりこだわるのだろう。
私はその文書を読む事に益を見い出せれば
信仰が培われるものなら
それは仏教的な「方便」として
用いられても構わないと考える。
だから私は4つある福音書の中でヨハネによる福音書が好き。
タ・ローギアするんだったらこれを背骨に据えて書いて欲しい。
ただそうする事により、
キリスト教として微妙に違う物語が
浮き出てきそうなのだが
はなっからあの内容じゃ、一本化は不可能だったろう。
まあ多少情報がはしょられたとして、何とか一本化したければ、
普通はマルコによる福音書あたりを骨格にして、そこに共観福音書の独自箇所を盛り付けて行くやり方になろうかと思うのだが、
どうしてもヨハネによる福音書だけあちこちはみ出してしまう。
このヨハネによる福音書の扱いが、人によって結構まっ二つに分かれる。
つまりこれを限りなく福音的に、事実として捉えるのか、
明らかな後世のフィクションとして、ある種たとえ話として捉えるのかによって。
私は図書館で借りて来て読んだ、分厚い本、現ローマ教皇のラッツィンガー「さん」の著書、
この人によればヨハネによる福音書の中身は多分に事実だとされている。
カトリックの一番えらい人がそう言うならきっとそうなんだろう。
聖書学者の大方はこれはリベラル的に解釈すべき福音書だと結論づけていようと。
どっちでもいい。
私にすればそんなの別にどうだっていい。
空想話だって、いいじゃないか。
なぜ事実にばかりこだわるのだろう。
私はその文書を読む事に益を見い出せれば
信仰が培われるものなら
それは仏教的な「方便」として
用いられても構わないと考える。
だから私は4つある福音書の中でヨハネによる福音書が好き。
タ・ローギアするんだったらこれを背骨に据えて書いて欲しい。
ただそうする事により、
キリスト教として微妙に違う物語が
浮き出てきそうなのだが