教会の始まりの時の回想 | THOUSAND WINDS

教会の始まりの時の回想

知識不足のためかなりいい加減なこと書くと思うので、ご了承の程を。
新約聖書にあたるものが、本当になかったのか。
時代がたつとパウロ書簡みたいなのが出回ったけれども、
多分方々の教会すべてに配布されたわけじゃない。
如是我聞、かくのごとし我聞きたまえり。
にわか使徒みたいなのがさもイエスから直接聞いたような言葉を伝えていた。
そこでは口伝が幅をきかしていたが、
どれをとっても信憑性は低かった。
パウロ派を例外としたら、
当時一番の関心事は、
なぜイエスキリストは十字架にかけられたのか。
それは今の私たちにも通じる。
偽書とされ、聖典に入る事の無かった、ペテロの福音書には、
あの最後の一日の描写しか残されていなかった。
十字架から復活までをただ抽象化して、信仰の枠組みに入れてしまったパウロの理論が勢力を持ちはしたが、
キリスト教が生まれるまでの信者の関心事は、恐らく
あのイエスの十字架は、
我々にとって何の関わりがあるのか、
それだけだったと思う。
パウロがたどり着く前に、
ローマに伝えられていた
キリスト教の前身の
エクレシアにしてみれば。