言葉があるから | THOUSAND WINDS

言葉があるから

昨日生と死の詩みたいな所でつまりぐるっぽで、
死が怖いのは死と言う言葉があるからだと書いた。
でもあらためて考えてみると、死が怖かないような言葉も存在する。
死は怖いも怖くないもないが、それに価値を与えるのは人間の責任でしかない。
つまり宗教とかがよくその死についての解釈をあれやこれやと
創作して来た。
どのみち理屈なしに死は怖いと思うのだが、
それが信じる言葉によって軽くなったりかえって重々しくなったりする。
宗教は大抵それを軽く受け止められるように仕向ける手段でもある。
どれが正解と言うものでもないが、
どうせならそれがうそであっても、
それを信じて苦悩がなくなるのなら、
そんな宗教の言葉を信じたままでいきたい。
キリスト教はそんな死についての軽減策を打っているだろうか。
むしろ積極的に苦しみを味わうように言ってなかったか。
かえってそれを信仰する事で
生と死に余計な不安を抱かせたりはしてないか。
死についてこれこそが正解だと言う答えが啓示されたとしても、
それが死における苦しみを軽くするものでないなら、
私はごめんこうむる、
そんなものいらない。