ただ静かなだけでいいのか
私には目も耳も聞こえない人の気持ちはどうしても分からない。
しかも生まれながらにそうであった人の。
まず景色が分からない。音も分からない。言葉が分からない。
自分が何であるのか分からない。
自分がどこにいるのか分からない。
夢を見てもそこに音も光も登場しない。
そんな身の上で生まれて来なくて良かったと思った。
聖書の中で目が見えない人が見えるようになる奇跡で思っていたこと。
生まれながらに見えなかった人が急に見えるようになったとしても、
その初めて目に映る光景が何であるか、分からないだろう。
目に見えている中でどれが人かと言うことさえ。
ある英語の聖書には、againと言う単語が添えられていた。
なぜか知らないが日本語訳聖書からは省かれている。
つまり元々目の見えなかった人が、再び見えるようになったと言う話。
私は再びと言う単語を見つけた時つい半泣きになってしまった。
耳の聞こえない人も急に聞こえるようになったとしても、
人の話を聞いて意味が分かるはずがないだろう。
ただ静かな世界を恋慕う傾向と言うのはただ健常な者の
おごりのように思えてくる。
聞きたくても聞こえないような人にしてみたら。
しかも生まれながらにそうであった人の。
まず景色が分からない。音も分からない。言葉が分からない。
自分が何であるのか分からない。
自分がどこにいるのか分からない。
夢を見てもそこに音も光も登場しない。
そんな身の上で生まれて来なくて良かったと思った。
聖書の中で目が見えない人が見えるようになる奇跡で思っていたこと。
生まれながらに見えなかった人が急に見えるようになったとしても、
その初めて目に映る光景が何であるか、分からないだろう。
目に見えている中でどれが人かと言うことさえ。
ある英語の聖書には、againと言う単語が添えられていた。
なぜか知らないが日本語訳聖書からは省かれている。
つまり元々目の見えなかった人が、再び見えるようになったと言う話。
私は再びと言う単語を見つけた時つい半泣きになってしまった。
耳の聞こえない人も急に聞こえるようになったとしても、
人の話を聞いて意味が分かるはずがないだろう。
ただ静かな世界を恋慕う傾向と言うのはただ健常な者の
おごりのように思えてくる。
聞きたくても聞こえないような人にしてみたら。