キリスト教の特殊性 | THOUSAND WINDS

キリスト教の特殊性

無学な私ごときにそんな大それたことが書けるか心配ですが、
乗りかかった船なので、タイトルをそう決めた以上は何か書かないといけないし。
ヒンズー教とか仏教も含めていいかも、神との合一みたいなのを
最終目的にしてたり、自分が仏そのものになるとか、神の一部だとか言う
そんな宗教の元型みたいなのが世界にはむしろ多いのですが。
どうもキリスト教がたどり着いたのはそんなありふれたやつじゃなかった。
神秘主義とかが案外そっち方向に流れるのですが、
私はそう言ったものはみなキリスト教的じゃないと
切捨てて来ました、ええ。
私の思うところのもの、それがカトリックなんかの教理と食い違うことは
承知の上で、ちょっと愚痴半分で書かせてもらえたらなと。
我々そのものは神とは違うし、神の子でもない。
聖書上にそんな表現が載っていたとしても、それはたとえでしかない。
字句のままの意味では決して無い。人間は神さまとは違う種類のもの。
ただなぜか分からないのだけれども、
イエスキリストという人を誰かがこさえたように見える。
イエスという実在の人物はいたし、聖書に書いてあるみたいに
十字架につけられてお亡くなりになったものと思われる。