「学校」は変わらなければならない

 

現在の子供たち、

未来の日本を支える大人たちのために

 

同時に、

学校を支える「教師」たちのために

 

 

私が教員になったのは

昭和の終わりから平成の始まりへの

ちょうど転換点だった

教員になったばかりの頃

昭和天皇崩御のお弔いがあり

学校が休みになった

そんな時代だった

 

今、思い起こしてみると

あの頃にも、休職している教員というのはいた

三送会に寄せられたメッセージに

休職中の先生が送ってくれた

写真と音声が流れた

生徒たちは、その音声が流れた時

懐かしさと可笑しさの混じった

歓声が上がったのを覚えている

 

最初の学校の6年間の間に

短期の休職者が出た記憶がある

また、バリバリやっていた人が

後に休職したと聞いたこともある

 

2校目は、荒れていた

おかしな話だが、荒れている学校では

不登校の子が出ないばかりでなく

休職する教員もいなかった

 

海外の学校では

学校に行く以外に行く場所がないためか

不登校の子もいないし

もちろん、休職する教員はいなかった

私が帰国した後

一人休職したという話も聞いたが

 

4校目、教員生活最後の6年の間には

同僚が休職になったりした

元々、来る前の学校で

すでに休職していた先生方だった

その頃から

教員のメンタル不調は問題になり始めていた

 

副校長になり、小学校に来てから

最初の年に、ベテラン教員が休職になった

教員に欠員が出ると、通常は副校長が代理になるケースだが

私は中学校籍だったので

小学校で担任代行をすることができなかった

幸い、数週間で臨時的任用教員が見つかり

ピンチを凌ぐことができた

 

2校目の小学校では

着任3日で休職になった教員もいた

養護の教員だったため

学校は激しい混乱に陥った

 

そして、校長になった後は

コロナ禍を経て

教員が休職になるのは、普通の学校の

日常になった

 

教員の成り手がなくなり

慢性的に教員不足が続き

担任の不在は、珍しくなくなっている

精神的に追い詰められている教員は

どこの学校にも少なからずいて

綱渡りのような状況が

続いている

 

 

 

自分のことを考えてみても

なんとか、ギリギリ持ち堪えてきただけで

決して、メンタルが強かったとか

最近の教員がだらしない、とは思わない

もし、今、若い教員だったら

私自身も休職しているだろうと思う

 

 

そもそも、近年明らかになってきた

うつ病など、いわゆる「メンタル」の疾患は

心の問題ではなく、

胃が悪くなったりするのと同じように

過度のストレスによる

脳の損傷だ、ということ

私が、PTSDを経験したときに

実際に経験して分かった

実際に、心にナイフで切り付けられたような

「傷」がつくということ

 

 

 

私自身は

教員になって、心の底から良かったと思っている

こんなに素敵な仕事は

なかったと思っている

それなのに、なぜ

今、教師はそんなに辛いのか

なぜ、誰も教師になろうとしないのか

 

 

今日、たまたま参加したシンポジウムで

はっとさせられたことがある

 

これまでの学校制度は

ワクを作ることを極めてきた、という

(続く)