「学校」は変わらなければならない


「学校」は、こうあるべきだ、というパラダイムを

社会全体で変えていかなければならない

特に、公立の普通の「学校」について、だ


そのために、まず、変わらなければならないのは

「善意の教師たち」だ

一つ一つ、自分たちが何を目指して

何を、どう行っているか

よく吟味して

パラダイムシフトしていく必要がある



今日、スクール・カウンセラーさんと

ゆっくり話をすることができた

目の前で、困っている子どもたちに

私たちは何ができるか

何をすべきで、何をすべきではないか

学校における「学び」とは何か

私が、「学校」はどう変わらなければならないと

考えているのか

お話させていただいた



ある子は、教室にいると

息ができないと言っている

普段の半分くらいしか、息ができず

苦しくて、死にそうになるときがあると

まだ小学生の子どもが、何とうまく

自分の気持ちを表現するのだろう


それでも、学校に来るのは

学校に、何か期待をしているからだろう

苦しくなったとき、

教室にいなくたっていいんだよ

一人になって、休んでいいんだよ

それを可能にするスペースが

「学校」にあったらいい


みんなと同じことが

できなくてもいい

自分の良いところを見つけて

それを磨けばいい

年齢も学年も

気にしなくていい



「でも、そんなことを言ったら

その子が大人になったとき

困るでしょう?」


善意の大人たちが、そう言って

その子のために、と

彼らを追い詰めていく


その善意が、「不登校30万人」

「若者の死因トップが自殺」という国を作った

私は最近そう考えている



「学校」は変わらなければならない