「誕生日」が

この世に生まれ

生きていることを祝福する日なら

もう死んだ人の誕生日には

どんな意味があるのだろう



歴史に名を残す偉大な人なら

死んだ後も

生誕の日が思い出される

すでに亡くなっていたとしても

その人がこの世に存在してくれていた、

その奇跡に感謝したくなるのだろう

それはある人たちにとって亡くなった人が

特別な人だからだ


特別な人というのは

死んだ後も私たちの心に生き続ける

だから、他の人には何の意味もなかったとしても

特別な人を失くした人にとっては

いつまでも大切な日である



私の父は

昭和12年6月20日に

茨城県の下館という町の

奥の方にある部落で生まれた

戦時中に子ども時代を送り

中学を卒業して東京に出てきた

大工になって

26の時に母と結婚し

二人の男の子を授かった

母と二人で子どもを育て上げ

65くらいで現役を退くまで

腕のよい職人として

真っ当に生きた


その後は、隠居して

好きな植木いじりをしたり

絵を描いたりして

のんびり暮らしていた


途中次々と孫も生まれ

「おじいちゃん」と呼ばれるようになった


60代に後半に大きな脳腫瘍が見つかり

70代になると、前立腺がんが見つかった

脳腫瘍は放っておくことにしたが

癌の治療はそれから死ぬまで続いた

70代半ばで、突然加齢性黄斑変性を発症し

視界を失った

ほとんど見えなくなって

植木いじりも絵を描くことも

できなくなってしまった


目の手術を何度も繰り返し

何度も入院した


前立腺がんは

だんだんと良くなっていたはずだったが

ずっと下がっていた数値が

ある日突然高くなった

その後検査の結果

肺への転移が確認された

リンパへの転移も

余命宣告もされたが

それから何年か生き長らえた


令和4年5月8日に他界するまで

84年と11か月ほど生きた

最後の十数年は

病気と付き合いながらだったが

端から見た限りでは

それほどひどく苦しむこともなく

家族に見守られて

その生を全うすることが

できたのではないかと思う


父が生まれてきたことは

私たちに命が引き継がれるという

とても深い意味があった


死ぬ瞬間

幸せな人生だったなと

思ってくれたならと

願わすにはいられない


Happy birthday, my Dad.