何故、「昭和」の記憶を

探り始めたのか?


それは、自分が年をとったせいだろう

昔話が、いや、「昔話しか」

話す話題がなくなりつつあるのだろう


中学生の頃からギターを始めた

同時に、歌を作り始めた

作った歌は、ほとんど全て

作品として録音をしていた

もちろん、当時は

カセットテープに録音をした

その頃の音源は、

その後、テクノロジーの進化に合わせて

MDにダビング

CD にダビング

そして、今はi Tune にダビングして

私のiphone7にも入っている

半世紀前の自分の声を聞いている人は

そう多くないだろう


中学生の頃に好きだった女の子との

記念日のようなものを思い出すことがある

6月2日は、付き合い始めた日とか

4月4日は、鎌倉にデートにいった日

(この日、キャンディーズが

解散コンサートをやった)とか

誕生日も今でも覚えている

中学生の頃の歌を聞くと

そういう記憶がよみがえる

高校生の頃の歌を聞くと

高校時代を思い出すように



「昭和」の最後は

子どもの頃経験したブームで締めくくろう


1 「パンダ」

上野動物園に、日中国交復興の記念に、

二頭のジャイアント・パンダがやって来た

空前のパンダブームがおこり

子供も大人も、熱中していた

動物園に行っても長蛇の列で

大人は特に、前の人の頭越しにしか

見えなかったろう

私が初めて見たのは

いつだか覚えていないが

確か、10月1日都民の日は

動物園がただで入れたので

友達と行ったのか?

子どもの列はすいていて

走り回れる位だったが

大人の列は、小さい子を肩車したお父さんや

お母さんたちでいっぱいだった

パンダグッズもものすごく売れていた

同じ頃か? 上野の西洋美術館に

「モナリザ」が来たときも

何だかスゴいことになっていた


2  「マクドナルド」

日本にマクドナルドハンバーガーがやって来たのは

やはり、昭和40年代だったと記憶している

なぜ覚えているのかというと

同級生に、上野かどこかで食べたというやつが

自慢していたのと

その後、マクドナルドハンバーガーには

猫の肉が使われているという

まことしやかな噂がたったせいだ

あの頃は、売り上げも

激減したのではないだろうか?


3  「少年向け週刊誌」

少年ジャンプ、マガジン、チャンピオン、

キングなんていうのもあったか?

子どもはみんなそれらの週刊誌を

読んでいた

マンガは、少年の文化の発信源だった

「明日のジョー」

「ドカベン」

「ブラック・ジャック」

女の子向けの雑誌もあった

マーガレット、リボン、花とゆめ?

読んだことは一度もなかったが

女の子もマンガを読んでいたのだろうか?

ベルサイユのバラとか

サインはVなんていうのは

アニメにもなって、知っていた


私自身は週刊誌はほとんど買ったことがなかった

いつも、友達が読み終わったのを

見せてもらっていた


4  「ヒーロー」

ウルトラマン、ウルトラセブン、仮面ライダー

人造人間キカイダー、イナズマン

ゴレンジャー


ウルトラマンに始まったヒーローものは

男の子のハートをつかんだ

仮面ライダーは、石森章太郎の代表作となり

次々とヒーローが生まれた

それらのヒーローは

半世紀後の今でさえ引き継がれ

子どもたちの人気者だ


5  「スーパーカー」

小学校高学年になった頃

突然、車に興味が湧くようになった

ダサい形の車がほとんどだったとき

近所でフェアレディZを見たのが

きっかけだった

ほとんど時を同じくして

少年ジャンプで「サーキットの狼」が始まって

日本中の子どもたちが

外国のスポーツカーに魅せられた

中1になると、その人気は

社会現象にもなり

晴海の展示会場で行われた

スーパーカーショーには

フェラーリやランボルギーニが集められ

連日超満員の催しとなった


私のお気に入りは

トヨタ2000GTとフェラーリ・ディノ246GT 

あの頃、将来自分が

外車に乗るとは思ってもみなかった


私はあまり興味がなかったが

スポーツカー消しゴムというのも流行った

みんなボールペンの頭で弾いて

どこまで滑るか競っていた


そういえば、男の子の楽しみのひとつは

プラモデルづくりだった

500円くらいで、

結構精巧なプラモデルが買えた

モーターが入っていて

ちゃんと走る車が流行った

プラモデルカーのレースもあって

上野のデパートで開催された大会に

仲間と出場したこともあった


スーパーカーのブームと同時に

写真も始めた

叔父にもらったカメラで

珍しい外車を撮影した

中学生になって、写真部に入部

自分で焼き付けもできるようになった

ただ、写真はお金がかかるので

いつも、ケチケチやっていた


      (環状7号線にて、流し撮りに挑戦)


6  「ドラゴン」

ブルース・リーの「燃えよ、ドラゴン」などが

大ヒットした

子どもたちは、「アチァー」とか「アチォー」とか言って

手作りのヌンチャクを振り回していた

丸太棒と鎖を買ってきて

つないだヌンチャクは

恐ろしい凶器だったので

確か、学校では禁止されていたと思う


    *************************


小学生の頃のことは

あまり覚えていないと思っていたが

こうして、改めて振り返ってみると

結構細かいところまで覚えているものだ


貧しくて、品のない

飾り気のない時代だった


悪くないなと

思う