昭和54年(1979年)

高校生になった私は

初めて地元を出て

台東区にある高校に通うようになった

地元にいたとき(中学時代)は

「22才の別れ」を

ピックで演奏できるか? などで

こいつはギターが上手いかどうか

判断された

あの頃は学ランに肩掛けのバッグ(?)

をもって学校にいっていたので

学校の机にかけた肩のストラップの部分に

ビートルズの曲名を書いていると

上級生から声をかけられたりした


それが、高校に行くと

いろんな地域からやって来ている生徒がいて

彼らは、私たちよりずっと

大人びていた

聞いている曲も私の知らないような

ロックミュージシャンや

クラシックやジャズだった


ギター弾きにとっては

レッド・ツェッペリンの「天国への階段」

リッチー・ブラックモアの「ハイウェイ・スター」

「スモーク・オン・ザ・ウォーター」

エリック・クラプトンの「レイラ」

ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ

ジミ・ヘンドリックスらは

必須のものとなった


そして、ジャズとロックを掛け合わせた

クロス・オーバーやフュージョンというジャンルで

パット・メセニー、ラリー・カールトン

アル・ディメオラ、アール・グレイ

日本では

渡辺香津美、和田アキラ、高中正義などが

流行っていた



その頃、ソニーが携帯できるステレオ

「ウォークマン」を発売した

これによって、高音質の音楽を

外出したときに携帯できるようになった

あのヘッドフォンで

初めて外で音楽を聴くという経験は

衝撃的だった


すると突然そこに

イエロー・マジック・オーケストラが

登場した


そのころ、日本人は

日本のものや文化に誇りを感じていなかった

本場ものにはかなわない、と

無意識に思い込んでいた

(思い込まされていた)

YMOは、そんな日本の音楽が

世界に向けて評価される

先駆的な役割を果たし

「なんか、日本もスゴいんじゃない?」

と、いう気にさせられた


1980年代

バブルの時代が到来しようとしていた