久米ヒロシと黒柳徹子の司会の

音楽番組「ザ・ベストテン」が始まったのは

1978年1月、昭和53年のことだ

あの頃のシングルレコードの売り上げで

ランク付けをしていたのだろう

最高視聴率41.9%を記録したそうだ

昭和らしいエピソードである


さて、このベストテンに

それまでテレビに出なかった歌手が

出演するようになった

歌謡曲や演歌の歌手とならんで

ポップスやロックの歌手が

テレビで見られるようになった


それまでは

アイドル発掘番組「スター誕生」から

いろんなアイドルが出たが

その頃になると

ヤマハ主催の「ポップコン」という

コンテスト企画があり

そこから出てきた 

フォークやロック系の歌手が

脚光を浴びるようになった


世良公則がボーカルを勤めるツイストが大ヒットした

チャゲ&飛鳥なんかが出てきた

サザンオールスターズなんかもそうだったか?


他に、元からロックギタリストとして

知られていたチャー


そして、吉田拓郎、井上陽水、小室等の三人が

立ち上げたフォーライフレコードからデビューした

大物新人が原田真二だった


あとからこの三人は、昭和の例に漏れず

「ロック御三家」などと言われてもいた


原田真二は、それまでの芸能人と違い

とても生意気な口をきいて

反感も買っていたが、彼は自分を

「ミュージシャン」だと自称し

それから、後に出てくる

ロック系、ポップス系の人たちは

「歌手」とか「アイドル」とか

「芸能人」ではなく

「ミュージシャン」と呼ばれるようになった


さらに、マスコミは彼らの躍進を

「ニュー・ミュージック」とジャンル付けた

それまでテレビに出なかったような

タイプの音楽をやっている人たちは

みな、ニュー・ミュージックと呼ばれるようになった

(さだまさしは、当時

自分がニュー・ミュージックにジャンル分けされるのが

不服で、自分はフォーク・シンガーだと言い

それまでピックを使って演奏していたギターを

指で弾くようになった)


その頃、歌謡曲では

男は田原俊彦とか近藤真彦が登場し

女の子は松田聖子が現れて

世代交代の感が見受けられた


私は、ビートルズ

フォーク

そして、ニュー・ミュージックと

興味が膨らみ

ギターだけでなく、ピアノも

弾くようになった